http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1041704.html
http://blog.livedoor.jp/blog_ch/archives/50996345.html
もある話。
ものすごくどこでもよくある話で、
「みんなが善意だとおもってやったことが、額面どおりに善意だと周囲に捉えてもらえることもあるし、必ずしもそうだとは限らないということも、ある」だけの話。
「やらない善よりやる偽善」
とお題目を唱えているなら、はじめっから周囲には「偽善」と受け止められて反発があることも覚悟の上だろうし、だからこそやった本人はこういった記事の書かれ方をされるのも理解していると思う。
問題なのは、新聞社が企画した献花は善で2chだと君が悪いのか、だったり、本当に善行なら日時を決めずに行けば良かったのではないか、といったものではなくて、
不遇な死者を偲んで花を手向けることその行為自体は、だれからも責められる事ではないんだけど、
それだけに、「善い行い」をしたからこそ反対意見に目を向けるべきなんじゃないかな、ってこと。
「正論で人を傷つけ」、その人が失意のまま亡くなってから、取り返しのつくどころじゃない後悔をした自分にとって、これだけわかりやすく両面的に考えさせられる学習材料を提示されて、まだ「一方的な善意」のまま「何が悪い」のかを主張されてる人を見ると悲しくなるのです。
批判派は、折り鶴OFFの時にも同じ主張をしたのかねえ。 そうでなかったらくだらんポジショントークに過ぎない罠。
善い行いをしたくて献花に行った人はいないだろ。 理由は他にも色々あった。 献花に行った人は善意を周辺の人に感じてもらおうなんてことはまず思ってない。 正論を通したくて行った...