「出会い」そのものを目的とした、いわゆる「合コン」にいそいそと出かけるような奴らは、
(男女ともに)卑しい心根の持ち主だ。ようするに彼氏彼女がどうしても欲しい、その延長線上
には「やりたい」という欲望しかない、さかりのついたイヌみたいな下衆ども。
だいたい「出会い」なんて、なんらかの活動があった上で副次的に生じるものではないか。
例えば囲碁でも将棋でも、バイクとかアウトドアとか、はたまた職場や学校で、共通の興味を
持つ集団のなかに男女が居て、そこで「出会い」が生まれる。そうした段階をとっぱらって、
「出会い」そのものを自己目的化した「合コン」なんて、たしかに合理的かもしれないけど、
あまりにも欲望に忠実すぎる。恥ってもんを知れよ。
「合コン」に関しては、そんなことをずーっと思ってて、嫌悪感しか感じてなかった。のだが、
その人が言うには、
「みんな、寂しいのだ。表面上はどうあれ、誰かと出会いたいという飢餓感があるのだ。」
なるほど。しかし、何かのサークルに入るとか、そういう段階を経た方が楽しさも増すのでは?
「誰もがみな、趣味を持てるわけではないし、その中で相手を見つけられるワケでもない。
あなたは、自分が出会いに恵まれていたから、そういう人たちの気持ちが分からないのだ。」
そういうものなのか。確かに翻って考えてみると、私じしんは海系の趣味と山系の趣味、バイク系
の趣味もあったので、「アクティブじゃない人」というのが想像できなかった。その自分を規準と
して、「合コンに参加するような犬畜生はダメ人間」などと考えていたのだ。
切実な寂しさを体験したことのない人間が、切実な寂しさから合コンに参加するような人を断罪する。
なんという無知さ、無礼さなんだろう。たいへん恥ずかしい。
というわけで後学のためにも合コンに参加したいのだが、私もう結婚してるしなあ。
「大丈夫、既婚者同士の割り切った合コンもあるから!」
えー!そんな。さっき言ってた寂しさとかそういうのはどうなるの?
「既婚者も寂しいんだよ!」
ううむ。寂しければなにもかも許されるのか…。やっぱ合コンは恐そうだ。
典型的なレッテル厨のサンプルです。 皆さん、よく観察しておく様に。