http://anond.hatelabo.jp/20070325183828
つまり、自然淘汰とは発展のメカニズムであり、人類の文明社会が何らかの意味で発展しないという方向性は自然淘汰に反していると考えているのかもしれない。
でも、自然淘汰は“発展”のメカニズムではなく、あくまでも“(通時的・世代継承的)変化”のメカニズムを指しているに過ぎない。
人口バランスが壊れて、二酸化炭素が増えて、その結果人間の生存が自縄自縛の状態に陥ったとしても、それは自然淘汰が壊れているのではなく、それもまた自然淘汰の中の一つに過ぎない。
なぜなら、自然淘汰は「何がどう変化したか」を説明する方法論ではあっても、「何がどう変化すべきか」を指示する規範的原理ではないからだ。
進化論と社会ダーウィニズムとを見分ける最大のポイントは、世代継承的な変化についての記述を「このようにあった」と語るか「このようにあるべきだ」と語るか、の違いにある。
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