かわいいものは見るものに愛おしさを喚起させる。かわいいものは見るものよりも弱者であるから、守らなければならないという意識がはたらく。だからかわいいものは手に入れたいと思う。かわいいの先には萌えがある。愛おしさは欲望に繋がる。
かっこいいものには欲望できない。かっこいいの先にあるものは美しさを持った孤高の存在に対する憧憬である。
確かに、美しさというのは時には欲望を喚起させることもあるかもしれない。しかし美しいと思う行為というのは、本来は欲望や理性を超越した精神活動である。だから私たちは美しいものとの出会いを時に「邂逅」と呼ぶ。
「かっこいい」が演劇であるとすると「かわいい」は映画である。
「かっこいい」は体験するものであるのに対し、「かわいい」は消費するものであるからだ。
邂逅という体験は人をゆさぶることができる。邂逅は思考を促す。たったひとつの、その瞬間にだけ存在する何かにしかできないことがある。「かっこいい」はなくならないだろう。しかし希少価値だ。愛おしいと思うことは考えるという行為ではない。大量愛情生産装置が吐き出す思考停止の種なんてブッ潰せ。