罪悪感があるということが、悪いことだとは思わない。別に、良いことだとも思わない。ただ、その罪悪感を感じていることがつらい人には、感じないようになれるといいね、と思う。でも、どうすれば感じなくなるのかなんて、私には分からない。私だって、感じないようになりたいと思っている。でもそれが、本当に自分に安楽をもたらしてくれるものなのかも、私には分からない。
感情もそう、罪悪感も、何かの意識も、みんなそう。自分で気づかないうちにすでにそう感じてしまうのだ。いつのまにか、やってくる。これを、どうしたらなくせるというの?変わりたい。変われると思いたい。
それでもいつのまにかやってくるこの意識を、この感情を、この罪悪感を、この「信じられない」という自分を、どうやって追いやったらいいか。それが苦しいから、どうやって抜け出せばいいのかを苦しんでいるのだ。他人の現状を見て「こういうことなのだろうな」と書くことなど、誰にでもできる。そんなことは、苦しんでいる自分が一番分かっている。はたから「そうなのである」なんてことを言われなくても、分かっている。何度も、見つめた。何度も、対峙した。それでも抜け出せないから、だから苦しいのに。それなのに、冷静な目でそんなふうに記述しないで。書いてもらっても、何もうれしくない。そんなことは書かれなくたって分かってる。分かっているからつらいのに。つらいけどどうしたらいいか分からないから、だからつらいのに。
倫理や道徳というものも、そうして植え付けられているのだろう。それを「あたりまえ」にできたり、感じないようにできたなら、何も困ることはない。
信じたい、信じよう、私は信じられる、そう何度も言い聞かせたって、いつのまにか思っている。いつのまにか信じていない自分が出てくる。人の言葉を、信じようと思う。永遠ではなくとも、いまの瞬間のその言葉を、信じているつもりでいる。けれども、本当には信じることができていないと、自分でも分かる。相手にも伝わってしまっている。それを、自分でコントロールすることができるなら、何も苦しくはない。
信じられる。信じられる。私は信じている。その言葉を信じよう。何度、いったい何度、自分に言い聞かせたことか。いまだって、そう信じようとしている。言い聞かせている。でも、何かがそれを拒む。そんな自分を、どうしたらいいのか、どうしたらこの意識というものをなくせるのか、分からない。
罪悪感?そうかもしれない。でも、現象だなんて言葉を使って説明してくれなくたって、分かっているよ。分かっている。知っている。見ている。見えている。そういう自分を、知っている。つかんでいる。それでも抜け出せない。
相手の言葉に傷つくことを恐れているわけじゃない。傷つくことなんて、当たり前だもの。私だって、傷つけている。そして傷ついている。でもそれを、つらがっているんじゃない。そうじゃない。傷つくことなんて、本当に、当たり前なのだ。特別なことじゃない。いつだって誰かを傷つけ、自分を傷つけ、ぶつかり、自分の苦しみを半分だけ見せて、そのために相手を傷つけ、傷ついた相手を見て自分が傷つき、何度もそれを繰り返して、それでもこのつながりを、保ってきた。
信じてくれていないと言われるたびに、なぜ信じられないのだろうと苦しみ、信じられるようになりたいと願い、信じようとし、自分は信じられるのだと言い聞かせ、もう一度、人を信じられるようになりたいと、強く強く思い、思いこもうとさえしてきた。それでもできない。まだ、できない。どうしてできないのか、分からない。
人を、信じられるようになりたいのに。私は、人を信じたいのに。自分を、信じられるようになりたいのに。どんなに言い聞かせても、できない。
【追記】
まさかお目にとまることはあるまいと思って、ここに書きました。お言葉をいただくことになるとは、考えもしませんでした。予想外のことに、戸惑っています。
歌を、聴きました。私も、狂ったようにしてその歌をつぶやき続けたことがありました。そうすることで、この歌に支えられていたことを、思い出しました。といっても、いま私がここに書き付けたこととはまた別のことで、でしたが。
憎々しい、そうかもしれません。でも、よくわかりません。
あなたは、「抜け殻のような人間」なのですか?「感情の無い人間」なのですか?そうは、見えません。そう見せようとしている、かもしれませんが。
あぁ、もしかしたら、私からはあなたがとても感情に溢れた人に見えるから、それなのに「達観したような物言いをする」から、ぶつかりたくなった、のかもしれません。
ごめんなさい、話が流れてしまいました。
書いてくださったことが、いまの私にはまだよく飲み込めません。いわんとすることに追いつけないみたいです。また時間を置いて、あなたの言葉に戻ろうと思います。
でも、いま、あなたのくださった言葉に抱きしめられて、私はやさしい傷を付けられました。この傷を、私はきっとたいせつにします。
【追記の追記 2009-04-16】
信じたいと思うことをあきらめるために、もがき、あきらめることをやめるために、またもがきました。いまも、信じることはできていないと思います。
この変わらなさと同じように、あなたはやっぱり「抜け殻のよう」には見えないし、「感情の無い人間」にも見えないし、むしろとても「人間らしい」と思います。だから飲み込むことも、まだなく。
私はただ、受け入れるだけ、それだけは、うまくなりました。
傷を、つけるつもりはなかったと思います。付いていなくてよかった。そう思います。
あのぅ 何に対する 罪悪感ですかぁー?