勝手な決まりを作り、強制的に守らせる。昔は良かっただろう。でも、今は必要ない。この21世紀には必要ない。
伝統によって地域がまとまらなければいけない時代などとっくに終わってる。
俺の高校では暴力的な前夜祭があった。一年生の時、それを体験した。上級生達が、大音響の音楽で暴れ、一年生を無理やり踊らせる。ノリが悪い奴らには後ろからタックルや蹴りをいれる。もちろん、大音響&馬鹿騒ぎの中だから気付かれない&黙認されている。
こんなことはおかしいと思った。こんなことが許されていいわけがないと思った。全ては伝統で片づけるこの学校は狂ってると思った。
そして次の年、俺たちの学年は 伝統 を廃止した。
それによって何が起こったか。下級生が上級生を敬わなくなった。元々進学校とは名ばかりで、実際は落ちこぼれ一歩手前の人間が入ってくる高校に過ぎない。
俺はそこで初めて伝統の意味を理解した。彼ら(高校の先輩)は下級生を無理やり従わせるためにこの伝統を利用していたんだ。暴力で上級生への恐怖を植え付けることで、下級生をおとなしくさせようとしていたのだ。
そして俺は思った。そんなことをしなければ従わせられないのなら、そんなものは無駄なんだと。
ダメな人間ばかりが集まってきたのなら、それを何とかしようとする努力が必要だった。しかし教師たちは何もしなかった。面倒だったからだ。そこで、生徒を利用することにした。
力による支配をさせることで、支配している側に優越感を与えながら(ある意味では上級生の自覚となる)生意気な下級生を抑える。こんな馬鹿げた方法を「対策」としてきたのだろう。
暴力で抑えられた人間は、暴力から解放された時、その溜まりに溜まった痛みは弱者へと向けられる。上級生に痛めつけられた下級生が、今度は上級生となり下級生を痛めつける。暴力の連鎖だ。
これを断ちきった俺たちは偉いと思う。そしてそのおかげで俺は暴力の無意味さに気付くことが出来た。
体罰も同じだ。学校という閉鎖環境に置いて、何らかの暴力を伴った「教育」を行ってはいけない。社会の歪みを子供のころから実感させてはいけない。新しい世界を創れる彼らだけが希望なのだから
体罰も同じだ。学校という閉鎖環境に置いて、何らかの暴力を伴った「教育」を行ってはいけない。社会の歪みを子供のころから実感させてはいけない。新しい世界を創れる彼らだけが...