この前やってた「小林賢太郎テレビ2」の録画を見て、ちょっと「ん?」って思ったんだけどさ。
小林賢太郎が「僕、今までは人を笑わせようと思ってやってきたけど、ここに来て初めて、泣いてる人を笑わせたいって思ったんです」みたいなことを言ってて、
「泣いてる人を笑わせるって、なんて光栄な仕事なんだろう」と結んだわけですが、
まあ、すげぇなと。光栄とか言えて、すげぇなと思ったわけですが。
なんだか、同時に、ムラッとしたんですよ、なぜだか。
なんていうか、実のところ、僕だって「泣いてる人を笑わせたい」って思いで自分のサイトを作ってたりもしてて、
でも、だからといって自分のサイトの中で「僕は泣いてる人を笑わせたくてやってるんです」とは絶対言いたくないわけです。
言ったら駄目だと思うんです。
小林賢太郎もらーめんずも、僕は凄く好きなんだけど、彼らの良さはそのクオリティーの高さだと思って、もはやアートだなんて言われてるわけで、
だからこそ、一定のモチベーションを持って見ないといけないような「美術館」とか「映画」みたいなジャンルに入るとすら思っていて、
でも、そういうところがいいなって思うんだけど、
じゃあ、それが「泣いてる人を笑わす」方向性のものかっていうと、どうかなって。「涙を止める」くらいにはなると思うけど。
主観がだいぶな話になるけど、泣いてる奴が笑うって、もっと下らないものだったり、しょうもないものだったりを、
肩ひじ張らない人が、さほど練ってない(ような)感じでやらないと笑えないんじゃないかな。いわゆる、「あいつ、ばかだー」的な。
そういうところは、小林賢太郎には全然なくて、むしろ「ほほぉ」とか「なるほど」とか「すげー」とか、そういう感覚が彼の面白味だと思うんだけど、
でもさ、そんなの僕が指摘しなくても自分の面白味なんて小林賢太郎だったらとっくに解ってると思うわけで、
じゃあ「泣いてる人を笑わせたい」って、ただカッコつけて言ったんだなアイツ。って思って、まあ、憎んだ僕がいるよ。
顔がそこそこいい人がね、「笑わせたい」とか真顔で言うとね、
アグネスチャンを見るような気持ちに僕はなるよ。
泣いてる人を笑わせたい!とかね、僕は小林さんに劣るけど、絶対に公で言わない。僕のファンの前で言わない。
だから、僕の方が、笑いの感覚では勝ると思ったよ。