2010-04-21

桜散る頃の記憶

ゴールデンウィーク前のこの時期になると、自殺してしまった会社の同期の友人ことを思い出す。

何が起きたのか理解できないまま式場に行って、その人の家族号泣する姿を見て急にリアリティがこみ上げてきたことを。

亡くなる数ヶ月前に俺の部屋に来て、本当にどうでもいい馬鹿話をして帰っていった夜のことを。

結局のところ、どうしてその人が首を吊ることを選んだのかは誰にも分からない。

伝え聞くところによると何か仕事上のトラブルがあったらしい。

恐らくはそのささいなトラブルがきっかけになってしまったのだと思う。

不思議なことに、どうしてその人の死を防ぐことが出来なかったのか、自分を責めるようなことは全くなかった。

ただそこに、乗り越えることが出来ない絶望があったことだけを理解した。

その人が亡くなったことを何かの言い訳には絶対に使いたくないけど、

結果的に俺の考え方に大きな影響を与えて、あれから3年後の昨日、俺は会社退職願を提出した。

ひとつだけ言いたいことがある。

それはたかが仕事、たかが会社のために死ぬ価値なんて絶対に無いということだ。

ストレスへの耐性が低くて、会社組織に向いてない人間というのは一定の割合で存在するものだ思う。

それでも無理して働き続けると、それは自分を損なうことになる。

亡くなったあの人がそうだったように、あるいは俺がそうなりかけたように。

許容度の低い日本社会会社員以外の生き方をなかなか認めてくれないだろう。

それでも、誰にも認められなくてもいいので、もう少しだけ楽に生きられる方法をこれから探そうと思う。



普段余り文章を書かないのでまとまりのない文になってしまったが、入社して間もない人に読んで貰えたら幸いだ。

時として会社が人を殺すこともあるのだと知っておいて欲しい。

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