むしろある。ありまくる。
異性への憧れは果てしない。
が、非モテかつ二次オタという存在が世の中でどういう位置づけかを、痛いほど知っている。
いわゆる“恋愛市場”においては、その価値なぞ、まさしく“吹けば飛ぶような”ものだ。それを知っている。
だからこそ、知っているからこそ、たとえ三次でどうしようもないほど好きな人ができたとしても、
「こんな自分に好かれても、あの人には迷惑だろう」とか、
「自分に告白されたところで、そんなの彼女の人生においては汚点となるだろう」とか考える。
“じゃあ、もし向こうから好かれたら、告白されたらどうすんのさ?”
もちろんのこと、そんなのはこれまで無かったし、これからも無い。
全くもって自意識過剰な想定だが、あったとしたら『なにかの気の迷いだから考え直してください』って言う。眼科に行くことをすすめるかもしれない。
最低な返しだとは思うが、自分の上位互換(こういう返しを考えないとか)なんて世に溢れているのだから。
といった具合で、もはや自分と恋愛との結び付きは途絶えてしまっている。
そう考え始めると、街中だろうがweb上だろうが、カップルを微笑ましく思え始めた。
「もげろ」「リア充爆発しろ」なんて意味がわからない。そんな嫉妬、精神上よろしくない。
縁側で茶をすする境地のごとく、「ああ若いっていいねぇ」と顔をほころばせるのがいい。
自分の隣には誰もいないが、誰かの隣に別の誰かがいて笑い合っているのを見るだけで、非常に気分がいい。
そういう意味で、新たな「三次への興味」ができた。憧れが別方向へシフトしたんだろう。
これを「ナルシスト乙」「抜いた直後か? 賢者タイム乙www」と侮蔑であっさりと片付けてもいいし、そうしなくてもいい。
【おわりに】
「んなの、人それぞれだろう」と言われたら、確かにその通り。
だけど十把一絡げに見られ、そしてしばしば嘲笑の対象となる、というのもまた傾向としてある。
だからこそ、こういう考えを残したかった。