各駅周辺にストリートミュージシャンがいて、
とにかく目立とう、自分の曲を聴いてもらおう、個性を出そう、と
たぶんオリジナルな自分(達)を一所懸命表現してた。のだと思う。
その渾身(かどうか知らんけど)の曲を足を止めて聴いた場所はひとつもなくて、
目的場所へ向かいながら、聴こえてくるフレーズだけを聴くともなしに聴いてたんだけど・・・。
「明日もし世界が明日終わってしまうなら」
「もし明日世界が終ってしまうとしても」
こんなフレーズが通りすがりに聴くともなしに聴いた4組中、4組が歌ってた。
えーとつまり、100%、世界が終わってしまう曲だったという訳だ。
ひと組めを聴いたとき、おー若いなーと思い、
ふた組めを聴いたとき、こいつもかと思い、
三組め、四組め・・・。
世界って終わっちゃうの?ていうか、なんかの合言葉みたいなキーワードなの?
それとも「世界が終わるとしたら」っていうフレーズを入れるってルールの競作大会?
ストリートミュージシャンがステレオタイプでどうすんだ。
なんつーか、他人と違うなにか・オンリーワンを追い求めているべき(というのは俺の偏見だけど)
なにかをしている気になってる(ように見える)っていうのことそのものがすげー終ってんなーと、思った。
そして、反射的にそんなふうに思っちゃったりしちゃったことに気がつくと、
若者パワーに無意識に期待を持ってた自分が焙り出されたように気もして、
歳とっちゃったんかなあ、ハァ、とがっくりしちゃったりなんかもした。
「世界」って言葉がつくづく狭く聞こえる今日この頃。 いうなればこれはこの世の森羅万象をたった一語に圧縮するフレーズなわけで。 社会さえも知らずに世界世界セカイせかいっての...
関係無いけど 世界に締め切りがあったら、もっと頑張れるのに、と思う。 自分の死亡予定日とか大体分かるといいのにな。
それ、地域によって傾向が違うな。 亀有では「頑張ろう」とか「愛してる」みたいな殺したくなるような歌詞が多い。 世界が終わるほうがまだマシだ。