人が存在すると思っているあらゆるものの存在は、実はもの凄く希薄だ。
たとえば「自分」という存在。本当に自分は一貫して連続した存在かどうか、これが問題だ。
仮に直前の自分の脳や身体、周辺環境を変数とし、超未来にその変数を用いて殆ど完璧に状況を再現したとする。このとき、超未来に再現された「自分」は、恐らく自分の一貫性を疑うことはないけれど、観測的には別の存在といって良い。この場合、主観的な連続性のみが保証されている。もっと恐ろしいのは睡眠や気絶といった状態で、これは自分自身にさえ主観的な連続性が保証出来ない。睡眠/気絶以前の記憶と以後の記憶とが同じ自分に属することを、主観でさえ保証出来ない。睡眠中や気絶中は意識が断絶しているので、ただ自分の過去だと思いこんでいるだけで、実は全く別の人の記憶をインプットされているだけという可能性を拭えない。
認識の上でしか『線』が存在しないというのは、間違いなく真理だと思うんだが。 結局幾何学にしろ、認識されたものの範疇にしかないわけで。
認識と物理的な存在性とを分離すると怖いよ。 人が存在すると思っているあらゆるものの存在は、実はもの凄く希薄だ。 たとえば「自分」という存在。本当に自分は一貫して連続した存...
元増田です。 『進みゆく時間の先端』に自分がいることさえ実感できれば、あとは何も怖くないさ まあ俺は真面目に取り合わない方が良い類の輩なので、適当に流してくれ。
まったく違う人の記憶をインプットされていたとしたらどうなのか。 それが条件ならその条件下で生きていく以外に選択の余地はないだろうに。
下らない事書いて分かった様なフリしてるから更に深淵へ入れって言ってるんだよそれくらい気付け。