2009-10-31

日本語の三人称における視点について

日本語三人称における視点について、例文を使った簡単な考察を。

まずはじめに、母親の泰子(やすこ)さんと息子の竜児(りゅうじ)くんに登場してもらいます。

例として、母親の泰子さんが息子の竜児くんの頭をなでるという動作を三人称で書きます。

泰子は竜児の頭をなでた。

というのが、ごく普通の書き方だと思います。この文章は、視点と関係性を意識して、次のように書くことができます。

1-a 泰子は息子の頭をなでた。

1-b 母は竜児の頭をなでた。

文を足して視点をはっきりさせ、少し手を加えると、以下のようになります。

2-a 泰子たちは公園のベンチに座っていた。泰子は息子の頭をなでた。

2-b 竜児たちは公園のベンチに座っていた。母が竜児の頭をなでた。

aの場合、視点は泰子さんにあります。読み手は、彼女の目を通して、物語を見ることになります。

そして彼女から見れば竜児くんは息子なので、三人称でも竜児くんのことを「息子」と書くことができます(ただし、そのまま「竜児」と書くこともできます)。

bの場合、視点は竜児くんにあるので、泰子さんは「母」になります(もちろん「泰子」とすることも可能です)。

さて、ここで2の文について、それぞれの前半と後半を入れ替えてみましょう。

3-a 泰子たちは公園のベンチに座っていた。母が竜児の頭をなでた。

3-b 竜児たちは公園のベンチに座っていた。泰子は息子の頭をなでた。

奇妙な文ができました。

aでは、まるで「泰子の母」が竜児の頭をなでたように読めてしまいます。

一方のbでは、泰子が「竜児の息子」の頭をなでたようにも読めてしまいます。

このように視点と関係性の描写がちぐはぐだと、誤解を生みやすい文章になってしまいます。

つまり、視点が泰子さんにあるならば、地の文で泰子さんを「母」とするのは、避けた方がいいということです。

日本語で文章を書く時は、視点と関係性の整理が重要になります。

このような特徴を持つ日本語には、それゆえの長所があります。

視点をきちんと定め、関係性を考慮して文章を作れば、主語目的語を省いても書けるということです。

例えば1の文章も次のように変えられます。

4-a 息子の頭をなでてあげた。

4-b 母が頭をなでてくれた。

それでは次に、頭をなでてもらった竜児くんがうれしくて笑顔を浮かべる、という一文を続けます。

5-a 泰子は息子の頭をなでてあげた。息子はうれしそうに、にっこり笑った。

5-b 母が頭をなでてくれた。竜児はうれしくて、にっこり笑った。

ここでは、竜児くんは実際にうれしいのかどうか、というのを問題にします。

bの場合、視点は竜児くんにあるので、うれしいという気持ちを、そのまま事実として書くことができます。

aは泰子さんの視点で見ているので、竜児くんの内心はわからないというのが前提です。

ですから、そのまま書くのではなく、泰子さんの視点を意識した形に直すことになります。

上記の「うれしそう」のように見た目だけの描写にしておくか、あるいは「うれしいのだろう」といった推量の形にするなどの方法があります。

さらに、竜児くんの笑顔を見た泰子さんが彼を抱きしめるという文を繋げます。

6-a 息子はうれしそうに、にっこり笑った。それを見て、泰子は思わず息子をぎゅっと抱きしめた。

6-b 竜児はうれしくて、にっこり笑った。すると、いきなり母にぎゅっと抱きしめられた。

aにある「思わず」という一語は、泰子さんの心情に関するものです。

これは視点が泰子さんにあるからこそ、書くことができます。

bでは、「いきなり」というのが竜児くんの視点に近づけた表現です。

抱きしめるほうの泰子さんにとっては自分の動作なので、いきなりでもなんでもないわけです。

また、竜児くんから見た泰子さんの動作を述べるために、「抱きしめられる」という受け身を使っています。

ここまでの文章を、それぞれ泰子さんと竜児くんの視点でまとめます。

7-a 泰子は息子の竜児と二人で公園のベンチに座っていた。息子の頭をなでてあげた。すると息子はうれしそうに、にっこり笑ってくれた。それを見て、泰子は思わず息子をぎゅっと抱きしめた。

7-b 竜児は母の泰子と二人で公園のベンチに座っていた。母が頭をなでてくれた。竜児はうれしくて、にっこり笑った。すると、いきなり母にぎゅっと抱きしめられた。

まだまだ手を入れるべきところはありますが、状況や人物の動作が同じでも、視点の違いで文章が変わるのを示せたかと思います。

ついでに7の文章を、一文ごとに視点を変えながら書いてみます。

7ーc 竜児は母の泰子と二人で公園のベンチに座っていた。泰子は竜児の頭をなでてあげた。竜児はうれしくて、にっこり笑った。それを見て、泰子は思わず竜児をぎゅっと抱きしめた。

視点が頻繁に変わるので、読みにくいのではないでしょうか。

書いていても、不安になります。

融通無碍に視点を変えながら書いたり、だれからも距離をとった完全な神の視点で書くというのは、それなりに慣れないと難しいと思います。

特に日本語の場合、章や場面が切り替わらない限り、視点は登場人物のだれかに固定しておいたほうが、書きやすいし読みやすいはずです。

言いかえれば、章や場面が変われば自由に視点を変えられるということなので、それが三人称で文章を書く最大のメリットだと言えるでしょう。

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