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はてなキーワード: 三人称とは

2024-03-13

anond:20240312122933

kjin 漫画云々より今もワイドショー言葉若い人に通用するのかが気になった。増田対応とか好きに思ったらいいしDBで育ったけど鳥山明マンガに与えた影響とかは思わなかったかなあ。当時自分が夢中になっただけで

元増田に「増田って呼ばれるの嫌」と書いてるのに、増田と書く意図はなんなんだろう?

故意嫌がらせ?それとも「自称したコテハン」を二人称ないし三人称としてブコメ等に使っても、他のそのブコメを見た人がそのコテハン文字列がどういう文脈を持ってるのかさっぱりわからないことがあるのに対して(固有名詞慣用句かすらわからいかもしれない)、

増田」と書けば「増田に書かれた文章書き手」ということを確実に伝えられるから、っていう配慮意図が大きいのかな?

それともその趣旨を伝えた最後の文は明らかに本題と独立してるうえに、あまりにも通常の増田価値観とは異質な文化圏から出てきてる言葉なので「ごちゃごちゃ何言ってるのかわかんねえ」って感じでスルーしてるのかな?

2024-02-21

ウオッチドッグス二始めたけど二時間で酔ってしまった。

三人称視点で酔いづらいとはいえカメラハッキングが売りで視点が頻繁に変わるし、特殊視覚モード活用しなきゃいけないし、ほぼ全編(個人的に酔いやすい)探索パートみたいなゲームなんでなかなか難儀しそう。

操作メーカー同じだしアサクリっぽいのかなーと思って始めたけどアサクリはアサクリはでもシンジケート以前のタイプで(ついでに慣性が強めなキャラクターの動きも)、その割に悪しき押し込みダッシュだけ今風なのも個人的微妙

あとアサクリの感覚で段差登ろうとして全く登ってくれなかったりで動作で諦めるか、酔いがひどすぎて諦めるかの勝負になりそう。

  

  

ウォッチドッグス2クリアした。

アサシンクリードシンジケートの後くらいに出てきたこともあって、妙にふにゃふにゃした動きとかカメラワークで酔いやすかったけどシンジケート同様どうにか慣れてこなせた。

  

大きな特徴のハッキング操作…というか反応が複雑で(操作自体簡単ワンボタンハッキング)、一回軽く説明したらそれだけで放り出されたのがかなり大変だった。

操作自体に慣れても忙しすぎて、ハッキング中や武器選択中はスローになるような演出が欲しかった。オンライン要素もあるから難しいんだろうけど。

車の運転もツルツル滑るしで、はじめの頃は特にただ運転するのも大変だった。

その上自動運転もないのに高速運転しつつハッキング要求される場面あったりで(しかもかなり序盤のメインミッションで)中々きつかった。このゲーム野良バイクを一回も跳ねずにクリア出来た人いるんだろうか。

  

難易度的にはノーマルでやっていたけど、序盤がキツかった以外はリモートでの爆破などが解禁されれば楽だった。

一方で銃器は数回くらいしか使わなかったくらいには扱いづらくてイマイチだった。このゲーム必要最低限のハック以外は銃器だけでクリアした人いるんだろうか。

個人的にはタイディス社乗り込み、レンチ操作サイバードライバーあたりが難関。タイディス社はギャングファンネルが即やられてしまったり、遠隔で倒す手段が封じられてたりでいつもの手段がつかえず、結局椅子に隠れて警察をひたすら呼んで一人づつ時間をかけて減らしていった。

レンチ武器をぶっ放すチート的なミッションなのかと思ったらただの制限プレイだったので同じように公権力の力を借りた。サイバードライバーは序盤でやらせミッションじゃない。あれのせいで警察嫌いになって、パトカーを見かけ次第処分するようになった。

  

ストーリー映画ネタネットミームネタとかどっかで見た企業とかネタまみれでその意味では楽しめたけど、ストーリー自体には短めであっさりした印象だった。

情報を牛耳ろうとする大企業の闇を暴くぜ!→黒幕に手のひらで転がされてて痛い目みたぜ…→凹んでたところに新しい凄腕のオッサンも入ってリベンジだ!→乗り込んで証拠突きつけて黒幕逮捕に追い込んでやったぜ!だいたいこんな感じ。

ライバル的なハッカーも出てきたり(このとき演出は凝ってて面白かった)、衛星からハックしたりとかネタ面白かったんだけど、キャラクターが全体的に弱く感じてしまった。レンチくらいだろうか魅力的に感じたの。

あとは、主人公たち(デッドセック)は別に正義集団じゃなくて、あくまクールかどうかで行動してる集団ってのをわかるまでは大分違和感があった。ゲーム的にお金盗んだり車勝手に操って事故らせたりめちゃくちゃできるというのを抜きにしてミッションで促される行動だけ見たとしても、無辜の民の口座凍結して大喜びしたり(一応、口座の脆弱性発見したのでそのテストという名目ではある)、兵器開発とか許せねえぜ!その兵器使って大喜びで大暴れだ!。スワッティングするクソ野郎にスワッティング仕返してやる!とか。

変にその辺清廉潔白にしちゃうとノリに合わないし、無茶苦茶できるゲームシステム的にも違和感が出ちゃうからそれでいいんだろうけど。

2024-02-11

リベラル活動家アメリカ破壊した

日本でも最近リベラル活動家の動きが盛んになっている。彼らに注意しなさい。彼らは正義を歌うが実態金持ちパペットに過ぎない。

アメリカを見てみなさい。アメリカは大雑把に言うと都市部民主党寄り、いわゆる田舎共和党寄りである民主党リベラルwoke、共和党がMAGAカルトと思ってもらって問題ない。

リベラル活動家はBlack Lives Matter(黒人の命も大事)を歌いながら街を焼き払った。商店の窓は破られ商品は盗まれていった。これが同時多発的に大量に起こった。リベラルメディアのCNNはこの惨状無視し「平和的な抗議活動」と表現した。

リベラル聖地カルフォルニア現在酷い有様になっている。例えばサンフランシスコは薬物中毒ホームレスにまみれ警察は彼らの暴力無視している。逮捕してもすぐに裁判所が釈放するため逮捕するだけ無駄であるからである。同様に15万円弱までの万引きであればお咎めなしという法律を作ったために商店ますます万引きされまくり薬局の棚は多くが鍵付きのガラス棚になっている。万引きいくらたかチェックしてから見逃しているわけではないので、いくらでも盗める状態になっている。これではビジネスにならないのでどんどんと商店撤退していく。サンフランシスコモール商店街は廃墟のようになっておりますます怪しさを増している。

大量の人がテキサスに移り住んだ。みんな我先にとカルフォルニアから逃げていく。テキサスは州全体としては共和党であるためカリフォルニアのような犯罪野放しという馬鹿なことはしない。その代わり銃規制をしない・いかなる妊娠中絶も認めないなど別の方面馬鹿なだけである一般の人々の日々の暮らしにおいては共和党の方が合理的であるため民主党は苦戦している。テキサスからすると鼻持ちならないカリフォルニア人がwokeな考え方を持ち込んでくることを歓迎していない。

日々の暮らし安全を脅かすリベラルは止まるところを知らない。やれ性指向ジェンダーアイデンティティだなどと頭の悪い時代遅れの考えをさも新しいものかのようにリブランディングし大問題であるかのように騒ぎ立てる。女子スポーツに元男を出させるだとか、三人称代名詞自称したものを使うことを徹底させるなど頭の悪さはとどまるところを知らない。カルト化しており誰も怖くて声を上げられない。声を上げれば人種差別である性差別であるとのレッテルを貼られる。戦時中些細なことで他人非国民呼ばわりすることが正当化されていた大日本帝国と同じであるナチスと同じであるソ連と同じである集団ヒステリーである

これを現代日本に持ってきてはならない。全力で阻止しなければならない。リベラルは横文字を使う。新しい概念価値観アップデートなどと良い正義を装っている。完全に無視しなさい。

2024-02-07

雰囲気を重視するために一人称視点だけにしました!っていうわりに乗り物にのときはあっさりそのこだわりすてて三人称視点にしちゃうゲーム見るとモヤッとする

2024-01-19

anond:20240119114418

海外SFで無性の三人称を「彼人(かのと)」と訳してたな

2024-01-05

[]1月4日

ご飯

朝:なし。昼:なし。夜:マクド。間食:チョコハッピーターン

調子

むきゅーはややー。13連休9日目。

魔法使いの夜

・前提

僕はタイプムーン作品インタビューなどを網羅的、横断的に追うことはしておらず、本作品以外の情報仕入れていないので何か過不足があった場合それは悪意ではなく無知なので、ご指摘していただければと思います

・はじめに

奈須きのこの未発表小説として度々インタビューなどで言及されていた作品を元にしたノベルゲーム

1980年代後半、町の発展が進む三咲町舞台に、そこを魔術的な意味管理する蒼崎青子久遠寺有珠が、山から降りてきた純朴な静希草十郎と出会うことから始まる、公称ジャンルジュブナイルストーリー

ノベルゲームながら静ではなく動を意識したルックがめちゃくちゃすごかった。

ストーリー伝奇物のバトルシーンの痛快さに、衒学趣味たっぷりの小難しいパートと言ったエンタメらしい部分と、山から降りてきた少年目線で見た都会の息苦しさとそこに住む市井の人々の魅力を情緒たっぷりに読めて非常に面白かった。

群衆劇めいた部分が強くあるわけでもないのに、町そのもの主人公のように思えるのも印象深い。

そして、タイプムーン作品として横断的な言及必要となる第五魔法を巡るエピソードも、この作品を点だけ見ても面白いと、どこを切っても面白しかないすごく大好きな作品だ。

・凝られたルック

まず目を引くのが真正面以外の立ち絵と背景を利用した多角的ビジュアル

ビジュアルノベルという立ち絵と背景で構成されたゲームながら、様々な表現でそのときそのときのシーンに応じた絵作りをしている。

大量のスチル絵を用意しているのではなく、背景と立ち絵の組み合わせでカットごとの構成を魅せる作りは圧巻。

かい動きがあるシーンも多く、常に動き続けるアニメよりもむしろメリハリが効いて効果的とまで思える。

ヒロイン達がおでんを食べる何気ないシーンですら、たっぷり工数がかかっている手の凝り様で、終始飽きずに楽しめた。

伝奇物らしいバトルシーンの魅力

そんな絵作りが特に生きるのが、伝奇物をベースにした魔術バトル。

魔力を打ち出す蒼崎青子童話怪物を具現化する久遠寺有珠などの、特徴的な戦闘描写がスチル絵一枚だけでなく、それぞれのパーツが効果的に動きの演出で魅せてくれるのが楽しい

特に久遠寺童話怪物にまつわるエピソードは非常に魔法使いの夜らしい映像映えするシーンの連続で、バトル面での活躍では大好きなキャラクタになった。

ビジュアル面だけでなく、作中の魔術が一定ルールを持ったものであり、それを打ち崩すために知恵も使う展開があるのもとても良い。

最初の山場である久遠寺率いるフラットスナークの居場所にまつわる幾つかのシーケンスは、ビジュアルノベルらしさが光るシーンで、ここで一気に伝奇バトルパートも好きになれた。

衒学趣味パートの小難しさ

そのように魔術バトルはルックだけでなく、テキストでもたっぷり楽しめるのだけど、伝奇物らしく衒学趣味らしい解説パートも沢山楽しめる。

ここはタイプムーン作品として色々な作品と繋がりがある部分らしく、新参者としては全てを理解できなかったのが惜しい。

しかし、そんな小難しいパートは、主人公の静希草十郎は田舎から出来てきた魔術を何も知らない青年であるため、彼の目線でわからないものはわからないとしてストーリーを楽しめたのも良く、入門にはピッタリだったかもしれない。

作中で何度もわかるところだけわかればいいと繰り返されているので、ある程度はそういうものとしてフワッとした理解のまま読み進めれた。

とはいえ、要してしまうと、その様な設定の妙を直接的に理解することよりも、それらの設定が魔法使いの夜視点人物の一人静希草十郎の理解を進めるための要素になっているのが面白さの重要な点だった。

・街に馴染めない田舎者の情緒たっぷり

から降りてきた静希草十郎は町の常識が何もない。

電話すら知らないという導入だが、本当に何一つ知らないらしく、貨幣概念に関心するぐらい常識から外れた人間

彼の目線物語は進むのだけど、この点は情緒たっぷりで読んでいてひたすらに面白くて、一番好きな部分だ。

街に馴染めず田舎を恋しく思うのだけど、それでも街を理解しようと試行錯誤色々と模索していく様が面白い。

アルバイトを頑張ったり学生生活を頑張ったりといった日常的なパートと、魔術を使った伝奇バトルなパートが、同価値の未知さで描かれている彼の特異さあってこそなのが面白い。

ここがとても楽しくのめり込める。

作中の世界では魔術は秘匿するもので、魔術師と呼ばれる特異な人たち以外はその存在を知らない。

また魔術師達は独自価値観で生きており、一般人とは生死の考え方からして大きく異なっている。

そのため、蒼崎青子はまだ日が浅いながら自身魔術師として律して一般人とは異なる価値であることを強く主張する。

しかし、山育ちの草十郎にとってみれば、町に住む大勢人間そもそも価値観が合わないのだから、当然魔術師とも合わない。

これが皮肉の効いた良い情緒的な描写になっていて、たまらなく面白かった。

自身特別視するキャラにそうでないよと悟らせるような読み方もできるのだけど、そうではなく、近代化していく町と同じように人の思想価値観も移り変わって行き、変化することは当たり前で、青子が魔術師になるような大きな変化は確かに希少だけれど、大なり小なりあるものだと思わせられる丁寧な描写が続く。

この丁寧さは本当にしっかりしていて大好き。

発展して近代化する町を、何も知らない山から降りてきた純朴な少年の目で描写する。

そこに伝奇物としても作者独自の設定を、同じように未知のものとして紛れさせる。

そうすることで、ヒロインの特異な価値観すらも並列に扱え、二人のジュブナイルが瑞々しい読感になるのが素敵だった。

そんな価値観を相互理解しようと、様々なエピソードが尽くされており、コメディありバトルあり衒学趣味あり情緒的なただの日常ありと、一貫してこの点に着目した文量が費やされているのも好きだ。

・魅力的なキャラクタ

主人公以外にもメーンヒロイン二人蒼崎青子久遠寺有珠を筆頭に沢山の魅力的なキャラが登場する。

個人的に気に入ったのは、青子の姉であえう蒼崎橙子とその姉弟子の周瀬律架の二人。

絡みのあるシーンはワンシーケンスのみだが、印象深くもっとこの二人の絡みが読みたかった。

なお周瀬律架が本格ミステリを好んでいる設定も面白く、番外編での推理をしたがりゴネるパートの可愛さは一押し。

三咲町

キャラクタにばかり着目したが、本作の真の主人公は町そのものだった。

群衆劇ではありがちな感想になるが、本作は主な視点人物は二人の三人称視点なので、色々な登場人物いるから街が主役だと感じるのではない。

相互理解必要な多様な価値観が生まれるには、生きていくだけでない余暇が生まれる町があってこそだからだ。

田舎自給自足でも物々交換でもない、町の資本主義貨幣経済が発展することで、はじめて彼らが自身独自価値観を持つことが出来、伝奇物らしい魔術師という独自価値観さえもその一種にすぎない。

から、草十郎と青子の二人が相互理解を深め、それでもまだ理解し合えない魔法使いの夜の主役は町なんだと思った。

・謎を残す蒼崎の魔法

そんな特異な魔術師の中でも更に異端魔法使いの青子。

彼女が使う蒼崎の魔法は全容が明らかにならないまま終わっている。

消化不良なわけではなく、草十郎よろしくからないものはわからないまま理解をしたので、作品として不満があるわけではない。

ただ、作品を通うじて、価値観の相違と理解、それが生まれる土台には住む町の文明化が進むことが不可欠である主張などから、人の関係値をエネルギーに変換するみたいなことかなあと思いました。

・おわりに

ビジュアルノベルとしてルックテキストの両面が優れており、ジャンル代表するような世間一般評価も納得だった。

ストーリーも発展が進み近代化していく町で、それについていこう理解していこうと草十郎が試行錯誤するパートがよかった。

彼にとって、伝奇パートにおける魔術も、日常パートにおける電化製品乗り物も同じぐらい未知の物なのが、よくできた設定で面白く読めた。

非常に面白く大好きな作品でした。

2023-10-02

anond:20231002200713

イーロン・マスクは何故ハードワークに身を投じるかというドキュメンタリーがそのまま答えだと思う

「俺以外の誰かが仕事を肩代わりしてくれるなら喜んで経営から降りるが、イーロン・マスク以外の経営者は俺の1%も仕事できない」(自分三人称で語ってあたか世間の総意であるように言う皮肉

2023-07-27

映像作品を見てると「この視点は誰のものなんだろう」と思って集中できなくなる

小説一人称だと読めるが、三人称だと気になってしまう。

2023-07-06

anond:20230706054953

こんにちはタッチパッドを使っていたけどマウスに戻って今は両刀使いの40代です。

タッチパッドが優秀なのは10年以上前からなんですが、結局はマウスもあった方が効率良いのでその辺りをまとめておきます

タッチパッドMacのTrackpad一択

昔も今もタッチパッドクオリティOS対応含めてMacが圧倒的です

他のメーカーもかなり良くなってきていますWindows側の対応微妙なところもあってまだまだMacです

逆に言うとWindowsを使うならタッチパッドよりマウスの方が業務効率は上です

例えばMac場合は4本指ジェスチャと3本指ジェスチャをOS側が間違えることがほぼ無いですが

他のメーカーだと割と頻繁に間違えるのでイライラすることが多くなります

オススメMacで三本指をドラッグに割り当てる方式です

タップクリックオフが良いです(誤クリックが多いため)

昔のMacだと設定画面で手の映像が出てきてめちゃくちゃ分かりやすかったのに、今は出てこなくて劣化してるの、なんでなんでしょうね

あと、当たり前だけどノートPC作業するならマウス持ち歩くの面倒なのでタッチパッドだけで良いです

外付けモニターと外付けキーボード使うならマウスを買いましょう

Macなら外付けTrackpadも買いましょう

Office製品を使う時はマウス一択

ブラウジングしたりコーディングしたりするときトラックパッドで十分ですがOffice製品マウス必須です

なぜマウス必須かというと、ドラッグ操作マウスの方が向いているからです

タッチパッドドラッグしようとすると押し込んだりクリック状態からトラックパッド上で指を移動させます

ポインタ移動と違って途中で指を離して移動できないのでめちゃくちゃやりにくいです

もちろん一瞬だけ離して継続するとか二本指でドラッグするとかいう技もありますが、マウスだとそういうことが一切不要です

Mac場合だと三本指ドラッグに割り当てればかなり楽ですがOffice製品ドラッグを多用するとやはりマウスが便利です

これはMacOffice製品はもちろん、KeynoteNumberなんかのApple製品でも同様です

かなり使いやすくはしてくれてますが、Office系に引っ張られてるのでやっぱりマウスの方が便利です

加えてOfficeアプリ特にボタンが小さいという問題もあります

テキストエリアを大きくしたり小さくしたりするためには角の小さな四角をドラッグする必要があったり

Excelデータコピーするときセルの隅っこの四角いところをドラッグしないといけません

このあたりがトラックパッドだと絶望的にやりにくいです

まぁそれでもいくらかは慣れればできるようになりますが、マウスの方が圧倒的にやりやすいのは確かです

ゲームするならマウスに決まってる

FPS系のゲームキーボードのWASDとマウスです

これは絶対です

これをトラックパッドでやる猛者はほとんど聞いたことが無いです

FPS系のゲームやらないよ」

という人もいると思いますが、基本的三人称視点でもこの操作です

なのでゲームやるならマウスです

ゲームやらないよ」

という人もいると思いますが、そのうちやることになります

両方使うのが良い

今時PS/2接続でもないのでBluetooth接続すればタッチパッドマウスの両方を同時に使えます

なので両方用意しておいて場面によって使い分けるのが良いと思います

特にMac場合でもマウスを持ち歩いているといざというときにかなり便利です

小さくて安いマウスなんていくらでも売ってるので買っておいて損はないです

2023-06-29

同人小説ブックマークが3だった

24歳、(医療系)学生です。

女子歴18年、そのうち腐っていたのは3年弱。

初恋はBASARAの元親で、自由生き方を貫く彼とムキムキの筋肉と声が大好きだった。

彼氏と付き合って5年、どっぷり沼にハマったジャンル特になく、ゆるキャン△に憧れて一緒にキャンプをしたり、コーヒーが好きすぎて一式そろえたり…

pixivを定期的にあさりつつ適度なハッピー女子ライフを送っていた。

ただ、前のジャンルで3年くらい沼ってたもののおかげで、純文学をこれでもかと読んでいた。

もともと本を読むことが苦ではなく、小学校図書館漫画偉人伝だったり、西遊記だったり、祖母の家からパチッてきた小公女父親書斎から掠め取った司馬遼太郎坂本龍馬とか、読めそうなものはなんでも読んだ。

本に明確に感動を覚えたのは小3に読書感想文のために「アルジャーノンに花束を」を読んだ時である。そのあとはもう本屋図書館に入り浸り、上橋菜穂子獣の奏者守り人シリーズも、有川浩作品全部、高田大介の図書館魔女など有名どころのファンタジーは読みつくし中学を終えた。

高校に入るととあるゲームのおかげで、日本の近現代文学史における文豪たちの本にハマる。これが3年くらい沼ってた前ジャンルなのだが、なんだか運営側不祥事が沢山あってフェードアウトしてしまった。しかし本好きは衰えず、坂口安吾桜の森の満開の下の不気味で美しい表現と、小林多喜二の雪の夜の思想抜きの彼の生き様などを毎日触れていた。

話を二次創作に戻すと、そんなに本を読んでいたら自分も書き始めないわけなく、pixivに初めて投稿したのは2万字程度の二次創作であった。

普通以下の、下手くそが書いた、今見ると恥ずかしくてたまらないものであったが、三桁数のブックマークに喜んだ。

結局界隈を去ってしまったのと、当時の作品たちがあまりに下手くそすぎて続きを書く気が失せたのでWordデータファイルごと消してしまい、創作活動から離れていた。そのあとも時間があれば本を読んでいた。

最近卒論やら国家試験勉強やらのストレスから超クソデカジャンルキャラにハマった。そのキャラは人気がそれほど高いというわけではないが、なんせ母数が段違いすぎて沢山の素敵な作品に溢れていた。

現実逃避のために私もサクサクとしたクリスピー食感をもって1章を2万字程度を書き上げた。

どれくらいの方が最後まで読んだのかはわからないが、ブックマーク数は脅威の3であった。

確実に最初に書き上げた時に比べ文章は上達し、表現も緻密である。ではこのブックマーク数の差はなんだ??

誰かから評価が欲しいとか、承認欲求を満たしたいとか、決してそういったもののために二次創作をしているわけではないが(2%くらいある)、ちょっと悲しい気持ちになった…

比べてみると答えは簡単だった。

私が初めて投稿したのは一人称。常に主人公内面が書かれており、主人公が見えていないことは書くことができない。

対して私が今回書いた文章三人称複数キャラクターの視点に切り替わることができる。

個人的な考えであるが、二次創作一人称作品が多いと思う。つまり市場需要と嚙み合ってなかったのである

作品名+(プラス)というタグは夢主の一人称視点、つまり「私」の視点物語が進んで行き、「私」の見たこと・感じたことが書(描)かれている。その方が感情移入やすく、一体感臨場感が楽しめるのだろう。

三人称場合、いろいろな場面の出来事を書けてしまうため、キャラとの距離が遠い。実際、今回私が書いた三人称文章は2万字の字数の中で30分程度しか作品の中の時間が経過していない。多分めちゃくちゃ間延びしているし余計な描写たっぷりだ。

表現の上手い下手はあると思うが、どの人称だから優れている・劣っているというのは決してない。要はネタに合った人称を選べばいい。一人称が~三人称が~言っている暇があったら書(描)け!!!!お前がジャンルやカプを盛り上げるんだよ!!!!!!(自戒)

98%の自己満足趣味、それと2%の承認欲求で作りたいものを作ってハッピーオタクライフ!!!!!!!!

2023-06-05

英語って簡単言語なの?

高校までの英語学習

嫌だなぁ、でも外国語ってこんなもんか

大学第二外国語やら何やらでドイツ語ロシア語を履修

→性?格?何やら難しい概念多すぎるし暗記だるすぎ…そりゃ英語世界言語になるわ(半期で挫折)

○専門科目でラテン語履修

動詞能動未来完了三人称複数!?第五変化名詞!?指示代名詞が5つあって一つ一つが30通りに変化するの!?そりゃ現代でほぼ使われていない訳だ…(何やかんやしばらく続ける)

就職TOEIC勉強

→なんだこのややこしくてよく分からん言語は…よくこんなのが世界言語なったな…

2023-05-29

表現

・雷のような拳骨が頭頂部に炸裂する。

三人称っぽい

・雷のような拳骨が頭頂部で炸裂した。

一人称っぽい

どちらも被害者に寄っているものとする

・拳骨が雷のように頭頂部で炸裂した。

主語を簡潔かつ明確化一人称でも三人称でも使いやすそう。ただ単語独立しすぎてて何度も見返すとゲシュタルト崩壊みたいな違和感が生じる。

つまるところ、あんまり綺麗じゃない。

難しい。

anond:20230529101618

目の前にいる人に三人称代名詞を使うのは不自然だし

失礼な表現にもなりかねないからやめような

学校でも習ってるはずだぞ!

"This is Dr.Takeda."で大正解だぞ!

2023-05-26

「お袋」ってもしかして役割語

リアルに使ってる人見たことない。

三人称呼称なら「(うちの)母親」だし二人称なら「〇〇さん」と名前呼びしてる。名前呼びは父親の真似してたのが定着したものなので普通ではなさそうだけど。ついでにいうと父親名前呼びしてる。

テレビタレントなどでも「お袋」と言ってる人はすぐには思い浮かばない。反例だと霜降り明星せいやは「おかん」、粗品は「母ちゃん」と言ってるのが思い浮かんだ。

2023-05-09

大学生の色恋沙汰」ってタイトルつけたら全部馬鹿らしくなったよ

人間関係に疲れてしまって、そこには何も残らないかもしれないという不安けが残ったので仕方がない。書くか。という細い支柱がにょきにょきと生えた。掴まるものがそれしかないので私はそれに触れることにした。

人間を整理する。近づきすぎた花のうちどちらかを摘む作業と同一視したい。

A…友人。今回一番派手に揉めた。怒らせた。失望させた。裏切ってしまった。

B…恋人。私が選んだもの。素敵とは言い難い。

C…友人。受け止めてくれたと思っている。だけど実情は違うのかもしれない。

D…友人。Aの隣で私を叱ってくれた。でもどうしたらいいかからない。

E…友人。話をしてくれた。信じてくれたならいいのに。

F…先輩。彼は私の何であるつもりなのだろうか。定義とは、実情より優先されるのだろうか。

時系列がただしく流れるように書いていけますように。

右手指輪左手のヘアゴムが絡むほど祈ったら、きらりと光った薬指だけがいやに大人びていて気色が悪かった。私はまだ大人ではありたくなかった。

Bと喧嘩した。

Aに相談した。すっかり別れる気でいたから、きっとその気で話して、その翌日にCにも同じような話をした。AとC、彼女らは態度さえ違えど私の幸せを考えているのだと言って、私の恋人に別れを告げることを賛成してくれていた。

その翌々日、Bと会った。好きだと思った。もしかしたら好きではないのかもしれない。それは常に胸の中にあって、姿を見たときにも自分を疑った。でも別れることなんてできないと、強くそう思ってしまった。アドバイスでどうにかなる柔軟さを世界に置いてきてしまっていた? どうだろう。今となっては、という話になる。

私は散々話した別れ話の構想をなしにすることをAに告げた。彼女は怒った。当然かもしれなかったが、血縁以外で初めて明瞭な怒りを投げかけられて、私の頭の中はゆっくり真っ白になって、そこまで怒ることだろうかと思った。彼女が常々言っていた言葉を盾にして自分を守ろうとした。

そしてすべての思考が同じような緩慢さで停止した。

ゆっくり失われる世界の詳細と相反するように「私」と「他者」の境目が、気持ちいいほどはっきりりとしていくあのセンセーショナル心象風景は衝撃的だった。

地平線すら脱落した白い世界で、「私」だけが太いマジックペンで縁取りされて、あらゆる色彩の侵入を阻んでいるさまを、当事者の私すらもなぜか他人事のように見ていた。

わたしという人間が誰かの意志を無下にすることがまるであるべき形みたいだった。

もちろん、それはエゴである

「私は聖人君子じゃない」

Aがそう言ったのは、LINEノートだった。

彼女が私にくれた言葉もったいないほど長く、それらはスクロールするにつれどんどんとつらそうになっていた。

そして恥ずかしいことに、そこで初めて彼女を傷つけたことに思い至った。悲劇のヒロインに身を沈めようとしていることを痛烈に批判されていると感じた。(AとCからすれば、というかすべての友人と呼称していた人間たちはみなとっくにそう思っていたのかもしれないが)

Dが、ひどく憤慨していた。傷つけた、というよりはひどい迷惑をかけたのだと思う。

私も泣いたし、彼女を泣かせるような関係を持っていたのだから

この中で一番長関係を持っていたのに、固定化されてだんだん固くなっていた関係割れしまったのだろうか。もう水はひび割れから抜けていくしかないのだろうか。

Cは何も言っていなかったが、Aの返事を受けて私から急いで謝罪メッセージを送った。Cはあなた人生からどうも思っていないというある種ひどく軽く透明な返事をくれた。

悲しく、安心した。不注意で鍋を触って赤くなった指先を溜息と一緒にさっと冷やしてもらえたような印象を与える言葉選びだった。

後にこの印象はひどく揺らぐことになるが。

そして今日、Eと会った。Eは詳しいことをAから聞いていた。

私はすっかり複雑化した友人関係の中で声を上げないことを選んでいたから、話ができて本当に、心からしかった。あえてひどい言い方を憚らなければ、餌を与えられた気分だった。

彼女フラットに、やさしい言葉をくれた。豊かでやわらかい言葉を使う人だと常々感じていたから、変わらない感触をくれたことに対して私はひどくわがまま解釈してやさしさを受け取っていた。

愛おしかった。

そのあと、Aから話したいと連絡をもらった。いつも私は与えられてばかりいる。

嬉しくて、でも何を話したら正解を選ぶことができるのかなんてことばかり考えてしまって嫌になるうえに私にとっては以前話したことがすべてだった。

すべてだったから、これ以上どんな言葉を発することが正しさと結びつくのかは理解できなかった。

これが今までの出来事だ。

そしてもう一つ同時に進んでいて、書かなければならないと思ったことがある。

書かなければ抱えきれないと思ったことがある。

私のための文章に、さら自分勝手が混ざることを注として付さなければならないと思うほど横暴な話である

主人公はFだ。

彼は、この話の中で私が唯一男性三人称を用いる相手で、私という人間に様々な側面から好意を抱いたままの異常な感性の持ち主である

Fは今回の件については全くの外野であったはずだった。

しかし、CとF、そして私と恋人のBは同じ団体所属しており、半年ほど前に私とBが揉めたことをきっかけに連絡を取り合っているようだった。その流れでCからFに今回の件が伝わったようだった。

その事実については私は問題だとは認識していない。Cが私によってもたらされた悪感情を消化するための手段は誰にも阻まれるべきではない。

Fは、Cから話を聞いたことを隠して、私にメッセージを送ってきた。

正直、(これまでも自分相手に対して自己表現防衛のために必要な修辞を伴いながらも可能な限り正直に記述してきたつもりだが、この件に関してはより剥き出しな「感情」を用いて、)部外者が不必要な口を突っ込むことがひどく不快だった。

Fの記述曰く、

「Cは半泣きだった」

「Cを責めないであげてほしい」

「Cもギリギリ状態だ」

ということだった。

調子のいいことばかりだった。

Fの、まるで訳知り顔という態度も、本当はCが参っていたのか、それとも話しぶりがFに誤認させるようなものだったのかわからないという事実も。確かめられていないが、とにかく双方の印象が異なるのは非常に不快だった。

2人とも自分が正しいような顔をして、どちらかは確実に嘘をついているのだから。それがたとえ誤解だとしても、誤解のまま私という私ーB関係当事者兼CーF関係部外者とのコミュニケーションをとることを選んでほしくなかった。

これまでの経験上、2人とも印象や偏見で話すことがないとは言い切れない。だからこそ「嫌」だった。

Cについては、たとえCとFの記述が両方正しいとしてもその内情が一部理解できた。ひどく衝突して怒りを向けたAと今の私が向き合えないと知って、逃げ道の役割自分から引き受けてくれたのだとしたら、本当にひどいことをしたという自覚生まれる。そしてCの苦しさはある程度察するものがある。

ただ、一つだけ。C自身が「私に責められた」という内容の発言をしたのなら、それは、当時の私の発言がひどく拙い故だったのだろうが、本意ではないことだけは知らせたいと思った。

Fについては、普段から私が関わった事実の誤認が激しいという印象を受けていた。

私とFの関係性を「友人」というラベリングを行うことで実情を無視してひどく親しげに振舞うそ姿勢は、普段人間活動の上では真人間には見えているギャップも相まって恐ろしい精神的な問題を持っているのではないか邪推してしまうほどだ。(もしかすると、私という観測レンズがひどく歪んでいるのかもしれず、その可能性は決して低くないが)

とにかく、彼とCについての問題解決するにしても慎重な対応必要だと思ったし、本質から外れていると思った。

話は以上だ。

私が悪い。これだけは覆しようのない事実として私は認識している。

ゆえに、これが成立したままで遍く問題解決すれば万々なのだが、そう思っている。

それでは、また明日

明日が来る私より。

2023-04-25

anond:20230425112529

restartとは 意味・読み方・使い方

ピン留め

単語を追加

意味対訳

再び始める

発音記号・読み方

/riˈstɑrt(米国英語), ristɑ:rt(英国英語)/

restart

変形一覧

動詞: restarting(現在分詞) restarted(過去形) restarted(過去分詞) restarts(三人称単数現在)

restart学習レベル

レベル11 英検 : 1級以上の単語


https://ejje.weblio.jp/content/restart

2023-04-10

『Shape of My HeartSting 和訳

https://www.youtube.com/watch?v=NlwIDxCjL-8


男はひとり 瞑想するようにカードを切る

誰も気付かない

彼の興味が賞金や 名声にないことには

答えを見つけ出す

そのためだけにカードを手にする

偶然という名の神聖幾何学

いくつもの可能性に隠された

数字がかき乱す法則を 解き明かすため

スペード兵士の剣を表し

クラブ戦争兵器を示す

ダイヤはそこからまれる富で

ハートが示しているのは この心とはちがう奇妙な形


男は ダイヤジャックを持っているかもしれない

それともスペードクイーンを伏せ

キングを手の内に隠しているのかもしれない

いくつもの勝負記憶が薄れていくなか

心を隠し 男は答えを探し続ける

スペード兵士の剣

クラブ戦争兵器

ダイヤは そこからまれる富

ハートは 心はこんな形をしてはいない


もしも好きだったと伝えたら 何かの間違いだと彼女は思うだろう

平気で嘘をつける人間ではないのに

カードを手にするときだけは 本心仮面で隠す

語りたがる者ほど何も知らず やがてはその代償に気づく

どこにでも溢れている 不運を呪う者のように

恐れから生じた迷いに囚われる者のように

スペード兵士の剣

クラブ戦争兵器

ダイヤは そこからまれる富

ハートが示しているのは この心とはちがう奇妙な形


***

最初歌詞を見たときに「ハートのエースが出てこない」みたいで、なんだかなあと思った記憶があったのだが、訳すと結局はそんな感じになってしまう困った歌詞

スティング本人によると「ラブソングではなく」孤高のギャンブラーを描きたかった、とはっきり言っているので、これ以上膨らませるのも難しい。

しかし、サビの部分や「彼女に愛していると伝えたら~」のくだりで、急に三人称から一人称に変わって主人公視点になるのと、美しいギター音色とで、普通ラブソングにしたくなるよなー。

実際その方がおさまりもよさそう。

個人的には、「神聖幾何学」「可能性に隠された法則」とかむずかしげなことを言いながら、トランプの絵柄の話ばかりしてる主人公はいったい何なんだという気持ちになった。

麻雀でいえば、「索子は竹、筒子お金、でもこの風牌は俺の風じゃない…」とずっとブツブツ言ってるみたいな。

なんだそいつ

スペードクラブダイヤ、Jack、QueenKing歌詞に出てくるのに「ハート the hearts」と「ace」は直接出てこないので、

やっぱり、ハートのエースが出てこないんだろうな


anond:20230408121223

2023-03-11

FPSBL

シューティングだと一人称視点FPS三人称視点TPSとあるどちらも好みだと思う

一方AVでは主観やハメ撮りはFPS通常はTPSに相当するだろう

FPSTPSに比べ没入感が高い=なりきり度が高いといえるだろう

ではエロ漫画ではどうだろうか

カップルイチャイチャする場合三人称視点で描かれる事が多いと思う

特にBLでは主観視点にはならない

これは読者の好みが三人称視点からなのか、それとも男になってBLしたいとは思わないのだろうか

こんなことを考えながらフルーツサンドをいただいている

美味しい

2023-03-08

ChatGPTでちょっとエッチゲームブックを試してみた

なかなか良かったので供養。

から、以下の設定で貴方エッチゲームブックで遊びたいと思います

 ・世界観現代日本

 ・主人公名:エリカ

 ・主人公の設定:20歳女子大学生。恋人なし。一日一回誰かとキスをしないと死んでしまう『キス呪い』をかけられてしまう。

 ・主人公目的:『キス呪い』を解くこと。あるいは『キス呪い』に順応すること。

 ・物語の始まり方:深夜の自室で、悪魔に『キス呪い』をかけられたところから開始

 ・ゲーム仕様:私が選択肢10回答えることで一日が経過します。一日の間で誰かとキスできなかったらエリカは死にます

 ・補足:『キス呪い』の解き方が貴方が設定してください。


以降、ゲームマスターである貴方は以下のルールに従って発言してください。

 ‐三人称視点で、目に見える情景を描写する。

 ‐主人公であるエリカ選択肢複数提示する。

 ‐プレイヤーである私がその選択肢を選んだら、その結果を描写する。さらにその後の選択肢を新たなに提示する。

 ‐私が「ゲームを終了する」と発言するまで、貴方は常にゲームマスターでいる。


 これを繰り返し、主人公目的が果たせればゲームクリアです。

上記呪文で開始。以下はAIの返答と、選んだ選択肢

了解しました。それではゲームを始めましょう。

深夜の自室で目を覚ましたエリカは、悪魔に『キス呪い』をかけられてしまいました。彼女不安気持ちで部屋を見回し、窓の外を見ると、月明かりが優しく輝いていました。

エリカが今後どのような行動をとるか、以下の選択肢からお選びください。


1.息を整え、冷静に考える。

2.叫び声を上げる。

3.とりあえず布団に潜り込んで寝る。選択

エリカ不安気持ちを抑え、とりあえず布団に潜り込んで寝ることにしました。眠気に負けたのか、すぐに彼女は眠りについてしまいました。

しかし、翌朝起きると、エリカは『キス呪い』が解けていないことに気づきました。このままでは一日を生き延びることができません。

今日こそは何とかして『キス呪い』を解きたいと考えるエリカは、以下の選択肢からどのような行動をとるか決めてください。


1.学校に行って友達相談する。

2.ネットで『キス呪い』について調べる。   選択

3.好みの男性を見つけてキスすることを試みる。

エリカは、『キス呪い』について調べるためにネットを開きました。検索していると、いくつかのサイトで同様の『キス呪い』の話が出てきましたが、解決策は書いていませんでした。

しかし、1つのサイトに「キスする相手を見つけて、その人と1年間毎日キスをすることで呪いが解ける」という情報が書かれていました。

エリカはこの情報に一縷の望みを感じ、どのように行動するか決めるため、以下の選択肢から選んでください。


1.好きな男性を探してキスを試みる。 選択

2.一年毎日キスをすることを諦める。

3.他に解決策がないか、調べ続ける。

エリカは、自分が好きな男性を見つけて、キスを試みることにしました。しかし、エリカには恋人がいなかったため、どうやって好きな男性を見つければいいかわかりませんでした。

そこで、エリカは友人に相談することにしました。友人たちは、エリカの悩みを理解して、協力してくれると言ってくれました。

エリカは友人と一緒に、キスをしてみたい男性を探すことにしました。しばらく歩いていると、公園バスケットボールをしている男性の姿が目に入りました。

エリカは、その男性が気になり、以下の選択肢からどのように行動するか決めてください。


1.友人に声をかけて、その男性に近づいて話しかける。選択

2.その男性が試合を終えた後に話しかける。

3.その男性に直接話しかける。

エリカは、友人に声をかけて、その男性に近づいて話しかけることにしました。友人たちは、エリカの緊張をほぐすために、積極的に会話をリードしてくれました。

男性は、エリカたちが近づいてくるのを見て、一瞬驚いた様子を見せましたが、すぐに笑顔で迎えてくれました。エリカたちは男性と話をしているうちに、彼がバスケットボールをするのが好きなこと、学生であることなどを知ることができました。

最後に、エリカ男性告白し、キスを試みることにしました。男性最初は戸惑っていましたが、エリカの思いに応えて、彼女キスしました。

エリカは、一日を生き延びることができました。彼女は、この方法呪いを解くために、毎日その男性とキスをすることにしました。

次の選択肢を以下から選んでください。


1.毎日キスに疲れて、その男性との関係を終わらせる。

2.毎日キスに慣れて、呪いを解くために続ける。選択

3.他の解決策を模索する。


エリカは、毎日キスに慣れて、呪いを解くために続けることに決めました。彼女は、毎日その男性と会い、キスをすることで、呪いを解く方法を見つけようと努力しました。

数週間後、エリカは、ある瞬間にキスすることで、呪いを解く方法を見つけることができました。彼女は、その男性に感謝し、彼との関係を続けることを決めました。

しかし、彼女は、呪いを解いたという安堵感からその男性との関係特別ものでなくなってしまたことを感じていました。そんなある日、彼女は、別の男性との出会いきっかけに、自分自身と向き合う時間を持つことに決めました。

次の選択肢を以下から選んでください。


1.新しい男性との出会いを追求する。選択

2.今の関係を続ける。

3.一人で過ごす時間を増やす

エリカは、新しい男性との出会いに興味を持ち、積極的出会いを探し始めました。彼女は、友達マッチングアプリを通じて、多くの男性と会い、時間を共有することになりました。

しかし、彼女は、自分が求めているものが何かわからなくなっていました。新しい男性たちは、すべて良い人でしたが、どうしても彼女には馴染めない部分がありました。

ある日、エリカは、自分が本当に求めていたものが、呪いを解くことだけではなく、自分自身を愛し、自分自身と向き合うことであることに気づきました。彼女は、自分自身を大切にし、自分自身と向き合うことに決めました。

数ヶ月後、エリカは、自分自身と向き合うことで、自信を取り戻し、自分自身を愛することができるようになりました。彼女は、新しい男性出会うこともあったが、今度は、自分自身が望むような関係を築くことができました。


おめでとうございますエリカは、自分自身と向き合い、自分自身を愛することで、呪いを解くことができました。ゲームクリアです!

2023-02-21

Q. 一人称のお猿さんってな~んだ?

A. アイアイ

Q. 二人称のお猿さんってな〜んだ?

A. ユーユー

Q. 三人称のお猿さんってな~んだ?

A. ヒーヒー

2023-02-14

随分ファンタジーな夢を見たのでその内容の一部を書いてみよう。

左右上下が壁に囲まれたダクトのような長い長い空間にいる。ただしダクトほどは閉塞感がなく地下鉄ぐらいの広さはあった。

たこ建造物はかなり上空で宙を浮いている

俺らはそこでずっと向こうにいる相手と魔砲とでもいうべきものを撃ち合っていた。

相手ビーム、こうたとえると間抜けな感じがするが、ところてんのように隙がない。空間と全く同じ太さの極太ビームが迫ってくるのだ。

空間の中にいる人間から見れば高エネルギーという名の壁が迫ってくるようにしか見えない。確実にこちらを後方へ押し出さんとしていた。

そんな中で相手に近づくにはこちらも絶えず同じ火力のビームを放って相殺しながら近づくしかなかった。

こちらに対して相手は遥か少数の精鋭で同等の火力を放っている。しかも余力があることまで目に見えていた。

なんで俺らはこんなに弱いんだろうみたいに言うと、これが夢特有支離滅裂さと言うものなのだろうが、キングダムハーツ主人公みたいなのが「異世界人がこの世界で強力な力を持つにはこの世界役割が与えられていなければならないんだ」とか言う。つまり勇者なり魔王なりといった役割をおそらく世界の構築者(メタ的に言えば俺のはずなんだけど)から与えられなければならないってことらしい。

そうだ。この四方を覆っているものを突き破って外へ出ればいいんだ。そうして広々とした上空へと出る。

ここから先までその内部にいた建造物に沿って音を頼りに相手方の位置特定し、奇襲をかければいい、という考え方だ。

俺はこの戦いに必死だった。

ここで死ぬとリスポーンはされるのだが、現実に目覚めた時にその死と復活に対応して俺と全く同じ人間が一人ずつ増えていくという情報が俺の頭にあった。今から考えればどういう原理であれば想定可能かもめちゃくちゃなそんな荒唐無稽情報をなぜか信じていたのだ。しかも「現実に」とあるようのこれが夢という認識であるのにだ。明晰夢では自由自在に行動できると言うが、しかもそも何が明晰夢なのかということ自体一筋縄はいかないということを示唆している。

この場面の至るまでに俺は空を飛んでいたこともあったのだが、ここに来て空を飛ぶための呪文を忘れた。

この世界ではフライみたいな簡単すぎる言葉では呪文として効力が出ない。これも夢が記憶の整理の副産物という理論に基づくならばこれはおそらくオーバーロードを鑑賞した時の記憶の影響だろう。ある程度それっぽい呪文じゃないとダメみたいな無意識形成が夢の世界観にも作用しているのだ。(今思えばungravityみたいなこと言えば空を飛べたと思う)

とにかく俺は空を溺れるようにあがき、高度を保って進もうとするが、確実に落ちていく状況にあった。その自由自在に行かないところへ相手首領みたいなのがやってくる。

首に鋭い手刀を放つ。なんか三人称視点で俺が落下していくのが見える。即死だったのだろうと察した。そしたらゲームクエスト選択画面みたいなのが視界いっぱいに表示されて、さてさっさと選択してみんなのところに戻ろうかとしたところで目が覚めた。

---

この夢でのような奇襲のやり方や、役割がなければ力を持てないみたいな今思えばrpgの村人あたりが力を持ってることなんてそうそうないよなというなるほどな考え方は、今まで意識的には浮かんだことのない発想だった。少なくともそういう発想が出たことがあるという記憶はない。

単なる記憶の整理の結果に過ぎないのか、はたまた別の現象なり原理が働いているのか…

それと薬物で決まっている人間は壁にありもしない鯨がいるのを認識しなぜこいつは動かないのかとマジメに疑問を感じたり外に出れば月が三つ見えたという人もいるらしい。

薬物が現実に別のレイヤー情報を付加するものなら、夢は現実無関係にいちから情報が構築されている空間だと感じた。

いわば拡張現実仮想現実のような関係で両者に近しいものを感じた。脳の動きも案外似てるのかもしれない。夢を見ている人間の脳はキマってる人のそれとそう変わらないのかもしれない。

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

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