昨日、居間のテレビをつけていたら、ハチ公映画のCMが「感動しました!」を連呼したあとに、鳩山さんが「絆を大事にする国に」とか言ってたのを見て思った。
結局、今の日本で可能な「絆」って、感動と恋愛とお笑いしかないんだろうな、と。
ぶっちゃけ、鳩山さんは「絆」「絆」と言うけれど、国民の絆=公共圏について、どの程度の見識がおありなんだろうなぁ、とは思う。今回は、政策の如何に関わらず民主党に投票すると決めてるので、それで投票先がどうこうというわけではないんだけど。
ついでなので、こっちの話もしようか。
今回、無条件に民主党に投票するのは、早い話が「既存の行政の枠外の人材に対して、政策決定に参画する経験を積ませるべき」という趣旨なんだけど。んで一方、今回麻生さんは「日本を守ってきた責任力のある自民党へ投票を」とか言ってるらしい。以前から、その手の言説には非常に違和感があったんだけど、最近なんとなくその違和感の正体が分かってきた気がする。
結局、その「日本を守ってきた」の部分って、本当に「今の」自民党の功績なんだろうか、ということなんだよね。基本的に、今の日本の行政を維持しているのは、官僚組織を中心とした「システム」であるわけだ(そのシステムに、人材の面から新たな血を入れるべき、というのが上で書いた俺の主張)。
もちろん、この50年余、自民党はその形成に大きな役割を(良くも悪くも)果たしてきた。けど、現時点においてそのシステムが(多くの弊害を孕みつつも)それなりに回っていることが、「今の」自民党に投票する理由と、果たしてどれほど関係があるのだろう。
政治の役割の一つって、システムとしての行政がある一方で、そのシステムに対して新たな方向付けを与える「決断」をする、ということが言えるんじゃないかと思う。その意味で、システムの現状に対する評価と、システムを導くことに対する評価って、本来的には別の話なんじゃなかろうか、と。
55年体制のシステムってそもそも今の民主党中枢にいる経世会の人らが主要な役割を果たしてきたものだし、民主党の若手も官僚出身が多い。だから、無条件に民主党に投票するのは、「...
もちろんそう。とはいえ、それこそ例えば「官僚出身の若手」にしてみても、あくまで「若手」なのであって、彼らに政策決定の中枢で仕事をやらせることは無意味じゃないと思うよ。...