しかし現実は、大きな石なんてそうそう見つからないし、たとえ見つけたとしても、持ち上げ壷に収めることが出来ないものだよ…。
夢や希望・志なんてのは、大抵の人においては砕けて消える幻みたいなものだし、大切な人や家族や何やといった人間の関係はそれ自体がほぼ幻想で、大切にしたところで裏切られ消えてしまうので、心の片隅では常に疑っているくらいの気持ちでほどほどに付き合ったほうが互いに気負いが無くて良い。自分という存在や自身の健康も、人生の中で自分を大切にするというのは自己説明的な循環を起こしてしまっているし、それ自体あまり重要とは思えない(人生の中で何かをするから、それをする自分が大切なら兎に角)。じゃあ、大きな石となりえるものっていったい何さ、と思う。わからない。
たとえ大きな石を収めても、死んだら壷は砕け散って、結局炉辺に転がっていってしまうんじゃないか。とすると、人生という観点で考えること自体が間違ってるような気がする。死んだのちには評価も出来ないのに、死ぬまでの短い時間に何をするかを考えるのってどうなのか。それならいっそ死後の観点から考えて有益な事をすべきなんじゃないだろか。或いはいっそ刹那に生きて、その時その時をのみ評価すべきなんじゃないだろか。
大宇宙的な観点では、地球そのものがいずれ太陽に飲み込まれ消えてしまう。人類もその文明もいずれ消えて無くなる。人生で何かを成すのも、後世に残すのも、人間思考的な観点では全て無価値になる。だったらいっそ、生きている間にもっとも楽が出来るよう、もっとも楽しく生きられるよう考えたほうが良いんじゃないだろか。死後誰彼が迷惑するかなんて知ったことじゃない、どんな悪評が生じ噂されるかなんて知ったことじゃない、ただ生きている間最も快楽多く苦難少ないよう生きるべきじゃないだろうか。
なんてことを思った。
目の前に4リットル入る大きな壺があります。 彼は箱からコブシ大の石を十数個取り出して壺に入れました。これ以上入らなくなったところで、聞きました。「この壺はいっぱいでしょう...
しかし現実は、大きな石なんてそうそう見つからないし、たとえ見つけたとしても、持ち上げ壷に収めることが出来ないものだよ…。 夢や希望・志なんてのは、大抵の人においては砕け...
そんなこと考えていて楽しい?