2007-11-24

よく晴れた日には思い出す

もう六、七年前だけどあのころは鉄橋を渡るのが好きだった。正確に言うとのぼりに行くのが好きだった。電車が下を轟々音を立てて通っていくのを横目にみながら淡々階段を上っていく。というのが不思議と好きだった。

その鉄橋は駅のそばにあったから、普通よっぽど駅を経由したくないとか言う理由がない限り人は駅のほうに回ってしまう。だからその鉄橋にはいつも人がいなかった。上り始める前、上を見上げると延々と階段が続いて見えた。その上に白い太陽が光ってる。突き刺さるような鋭い光がふってくる。それを見上げてから、一歩を踏み出す。それが日課みたいなものだった。雨の日はやらない。よく晴れた日だけ、のぼりに行く。

階段を上っていくと不思議と喧騒が遠くなる。どこか遠いところで日常が営まれているような錯覚を覚える。電車が通るとその音もかき消されて、ひどく静かだった。

階段の端っこにには苔がはえていた。こびりつくようにぎりぎり張り付いていたり、密集して緑の不思議な塊だったりするけれどもどの段にも大体張り付いていた。冬になると茶色くなって、晴れている日が続くとだんだん元気がなくなってくる。でも必ずいる。必ず上のほうを目指している。太陽の光にぎりぎり当たるところででもあたりすぎないところで毎日毎日見ているとわかるんだけど少しずつ成長している。そのスピードはひどくゆっくりだけれど、人が歩いて上っていくほうがずっとずっと多分彼らからしたら目に見えないくらい速いんだろうけれども、でもすこしずつ。少しずつ。そういう風に見えた。先にたどり着いてごめんね、とつぶやいてみたりとかして笑った。風が生ぬるく吹いていて、そしていつも静かだった。

一番上にたどり着くと息が切れてる。空しか見えない。青い青い空しか。

あれからずいぶんたって、その駅に用があることはなくなったけど、たまに通り過ぎるたびに、その鉄橋を電車の中から見るたびにあの苔たちはたどり着いただろうかとふと考えたりする。あのころは、あの静けさと空が必要だった。そういう時間の余裕が必要だった。あぁやって使える時間というのはもう二度と、僕の人生の中にはないのかもしれない。

今日みたいによく晴れた日はそういうことを思い出す。

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