何故か。
俺は小学時代広島に住んでいたから、当然のごとく平和教育を受けた。
当然、感想を書かされるわけだな。
でも、「こういう方向で感想を書きましょうね」という無言の圧力が当然ある。
でもそんなのry、とばかりに「本当に思ったとおりの、授業そのものへの感想」を書いた。
正直小学五年生にもなると流石にうっとうしいからな。広島に生まれた者の試練だ。
当然、担任マジギレ。反省文を書かされる。
中学生になると、こういう誘導に対する反発が、普通の反抗期の子供以上に大きくなっていた。
帰ってきた後、「道路を歩く時の態度が悪い!」とわざわざ緊急集会で起こられた。
中でも印象的だったのが「昨日は私の誕生日やった。でもこんなことになって、先生はホンマに、ただ悔しいです。」
と涙ながらに語った女教師。知るかよ!
更にむかついたのが、その後一部の女子たちがもらい泣きしてやがったこと。なんでだ!?
こういうことが積み重なって、煽動とかそういうのに対して異常に反発するようになっちまった。
体育大会の集団演技や合唱コンクールにおける体育教師や女子のうるささとかもう…
俺自身はそういうマスゲームや歌が嫌いじゃなかったんで本気で取り組んだんだけど、
真面目に練習しない友達が影で非難されてるのを聞くといたたまれない気持ちでいっぱいだったよ。
俺も彼らも大差ない。嫌いなことを無理にやらせるとかどう考えても狂気の沙汰。
大学じゃこういう雰囲気を醸す場や人間を回避し続けてきたから楽しかった経験の方が多い。
でも会社に入るとそうは行かないんだろうなぁ。
ついさっき読んだ西尾幹二の本みたいな話だなぁ。
泣いてる女子には殺意を覚えるな