2007-05-20

とある増田のはなし

私は夜中の産婦人科で産声を上げた。立会いには身内は誰も居なかった。

父は母が臨月になってようやく、しぶしぶ籍を入れたような男だった。出産の日も、家で酒を飲んで寝ていた。

母とともに何度罵られても、何度暴力を振るわれても、只管涙を流し、そこに居るしかなかった。嗚咽をあげる事すら許されず、正座してただ泣いていた。家の中は酷い有様で、3万円の家賃のアパートの襖には殆どのものに大穴が開いていた。

父は、バブルの好景気の折、仕事がうまく回り始めてようやく真人間らしきものになった。ただ、だからといって昔の仕打ちが忘れられる筈もなく(許せばいいのにという奴は同じ目に遭ってもそれがいえるのか?)、父の事は好きになれなかった。

事ある毎に父からお前は駄目だ、生きている価値はないと罵られ、情緒が不安定な母は私に愚痴を零す。

私は、体の良い両親のサンドバッグに過ぎなかった。

こうはなるまいと思い、強力な自制心を持とうとして、そのうち無関心無感動人間に育っていった。自分を守る為に、私は望んで日陰の方へと伸びていった。

私の行動や言動に、皆がもっと自分を大事にしろという。

自分を大事にするということは、究極な話、己を殺すしかない。

どんなに傷ついても、強くなんてなれなかった。流した涙は無駄でしかなかった。

地盤が脆弱な弱い私は、利用される事を恐れ只管孤独を望んだ。

親に駄目だといわれた洗脳を解けといわれても、矢張り私は何をしても駄目なのだから、洗脳ではなく、本当に私は劣っているのだ。

皆、好き勝手な事を言う。全部聞いていたら川に驢馬を投げ入れるしかない。どの言い分に従っても文句が出る。誰にも従わなければ非難され攻撃される。もううんざりだ。

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