2007-03-03

[]まじめな話ができる関係、できない関係

小学校同窓会にいってきた。

クラスメートに会うのは卒業以来だ。

くだらない話もしたし、まじめな話もした。

まじめな話っていうのは、同窓会にきてそういう話をちょっとしてみたいなって思ってる人としかできないんだけど。

でも、おたがい真剣な話を話そうと思うと、意外と話せてしまう。

日々をすごしていると、いろいろ考えていることが出てくる。

そして、他の人がどう考えているのか意見を聞きたい時がある。

飲み会やその場のおしゃべりのネタではない話が聞きたい時がある。

そういう、まじめな話がしたい時がある。

まじめな話と、まじめな話題はちょっと違う。

例えば政治はまじめな話題ではあるけど、真剣ではない表面上のネタとして意見を言うこともできる。

硬い話題ではなくても、話題は何で合っても、お互いに真剣に話している時がある。それがまじめな話だ。

頻繁に顔を合わせていてもまったくまじめな話にならない人もいる。

意外と初対面だったり、毎日は顔を合わせていない方がまじめな話というのはしやすいのかもしれない。


小学校同窓会のことを思い出しながら、自分の親のことを考えていた。

父が単身赴任先から帰ってきているのだけど、父とはあまりまじめな話できない。

母とは時々する。

母とは以前はまじめな話はできなかった。

母は私の考えを知りたがっていたし、私も母に理解してもらいたいと思ったのに、上手く話ができなかった。

以前は、私が自分の意見を言うと、子供のくせに生意気だと受け取られたような気がする。

もちろん私の意見や表現が以前とは違うということもあるけど

結局は大学に入ったことがきっかけとなって母の態度が変わったような気がする。

母は私のことを子供だと思っていたので、その子供扱いがまじめな話をする上では邪魔だったのではないかと思う。

大人と子供でも、まじめな話ができる関係性というのはある。

そういうときは、たぶんその大人と子供の間に互いに「敬意」があるのだと思う。

親と子でなくても、まじめな話がしたいのにそれを上手く伝えられないということがある。

相手を見くびっている感じが伝わってくると、まじめな話というのは難しいのだと思う。

まじめな話をする時は、ちゃんと聞いてもらいたいと思うから。

初対面の人と意外とまじめな話がしやすい理由はこのあたりにある気がする。

初対面だと、ニュートラルになるし、相手の話にも集中するし、互いにふざけた話をしたこともない。

お互いに丁寧な言葉ではなしていても、実は本当に真剣には話していないという事もある。

いつもいつも真剣に話すだけでは息が詰まるだろう。

ふざけた話もするし、まじめな話もできるというのが一番いい。

そういう友達が増えると、ちょっと生きるのが楽になるのかもしれない。

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