2007-02-14

世界でただひとりの素人

もう何も書けない。自分がつまらない人間だということをまざまざと思い知らされた。巷で人気のある文章の向こう側に作者を幻視してみると、どいつもこいつも玄人ばかりでまったくいやになる。玄人の超絶技巧と誇大妄想の片鱗をロハで味わえるなんて素晴らしい時代になったものだ。彼らが繰り出す絶妙に神懸かったパンチラの如き言説に、みな一様にいきり立ちボッコボッコスとブクマするのには思わず恍惚

そんな現実を直視させられた自分が何をするのかといえば、

「所詮玄人の文章なんて金をだしゃあ買えるんだよ。コンシューマ移植されたエロゲみたいなものに悶悶としながらおそるおそる有り難がって反駁するなんてぇのは馬鹿げてる。自分だったらはなっからそんなものは読まずに堂堂と金を出し、まるで客のようなツラしてさんざッぱら楽しんだ挙句扱き下ろして辱めてやらぁ」などと息巻いて、さらに言うのだ。「より重要なのは素人の呻き呟きだ。こればっかりはいくら金を払っても見られやしない、本来ならば。こっちのほうがずっと価値があるのさ。つくりものじゃない、正真正銘のパンチラたぁこのことだ。神々しいねぇ。しかも黒い、眼福」

しかし、そんなことを豪語したわりに耳目を驚かす素人の文章を見つけると何とも複雑な乙女心をはたらかせてしまう。怨念憎悪と私的な幸福がわずかに滲んだ詩的な感情に眩暈がする。実に素人くさい、改行のない、言葉意味の取り違えが多い、ただ刺刺しいだけの野暮ったい文章。熱の籠った暑苦しい文章。ちっともスマートじゃない。ありふれた状況と、ありがちな感情しかのっていない文章。誰にでも書けそうで、だけど誰にも書けない。自分にはとても書けない。

だしぬけに嫌気が差して、あれは玄人の成りすましだということにしてしまう。如何にもじゃないかと自分を納得させようとする。そして、あの泥臭さ、懸命さ、熱量はつくりものなのだ、自分にも学習できるのだと矮小化してしまう。あるいは、あれは天稟に恵まれた人間の作品で、自分には真似できないと卑下し、相手を神格化するのだった。

それで惨めな気分にとらわれて、さようなら。

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