2007-01-20

不二家の想い出

幼少時、誕生日の時だけケーキを食べる事ができた。そのケーキは、決まって近所の不二家のものだった。

誕生日になると、母親から必ず「今日は、お寿司ケーキどっちがいい?」と聞かれた。私はいつも迷わず「ケーキ!」と答えた。そして、大好きな不二家フルーツケーキを、母親と一緒に買いに行った。不二家に到着するまでのワクワク感がたまらなく好きで、店の中に入れば甘酸っぱくていいにおいがして、心がときめいた。フルーツケーキにするのは昨日の夜から既に決めているのに、いざ店内でショーケースを見てみると、チーズケーキショートケーキも美味しそうに見えて、やっぱりチーズケーキにしようかなと楽しく迷った。結局いつもフルーツケーキにしていたけれど。

私には兄妹が下に二人いて、弟は誕生日にお寿司を選び、妹は、ケーキだったけれどチョコレートケーキを好んだ。私はお寿司よりもチョコレートケーキよりも断然フルーツケーキが好きだったので、彼らの誕生日の時には、ぶうぶうと文句をつけた(当然ながら、私の誕生日の時には二人から文句がきた)。

いつもは帰りの遅い父親も、誕生日には早く帰ってきてくれて、嫌いなはずの甘い物(ケーキ)をむしゃむしゃと食べていた。父親がいて、母親がいて、兄妹がいて、そして、私がいた。家族みんなで美味しいケーキを食べることは、この上ない幸せだった。私にとっては、「ケーキ幸せ」であり「ケーキ不二家」だったので、必然的に「不二家幸せ」の図式が成り立っていた。

そのうち家庭の歯車うまい具合に回らなくなって、家族が集まり食事をすることもなくなっていき、誕生日でもケーキを食べなくなった。両親の離婚が成立し、一家離散状態になった。それでも、私にとっての「不二家幸せ」の図式が崩れることはなく、いつか自分が結婚して子供を授かり家庭を築くことが許されるのであれば、子供誕生日には家族みんなで、不二家ケーキを囲みたいと思っていた。そして、不二家ケーキを買いに行く時には、子供と手をつないでスキップしながら買いに行こうと、夢見ていた。

そんな夢は、もう叶わなくなってしまうのだろうかと思うと、たまらなくさみしい。

自分の中での“幸せ”のイメージがバラバラと崩れてしまったようで、たまらなくさみしい。

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