2006-12-11

モデル

http://anond.hatelabo.jp/20061210135747

記憶にあるものの一部がパーツとして組み合わされて創作に現れただけで、特別な意図は全然ない気がする。

舞城王太郎の「好き好き大好き超愛してる。」という本で、モデル小説関係について書かれていたのを連想する。

 

蛇足で個人的な経験を書く。

自分の実感では、創作に「モデル」は存在しなかった。記憶脈絡なく放り込まれている頭の隅から、ある日突然隣り合った物が曳き寄せ合って勝手にくっついて、いきなり手足目鼻が完成した形で這い出てくる。それを写し取るだけだ。(プロの人は、意識してそいつを作り出せる人なのだろうと思う) 物語はひとかたまりになって這い出してくるものであって、その一部を取り出して「『コンビニバイトしてる男』ってオレしかいないじゃん」みたいなことを言われても困惑してしまう。自分では無関係に見える。

ある時頼まれ事で初めて創作というものを提出してみた時、予想外だったのは、友人たちがそうした「モデル」について積極的に詮索することだった。

「この会話はあの時の会話がモデルか」「この展開は先日の事件がモデルか」「この建物はあそこがモデルだ」「この主人公は○○がモデルだろう」など。そんな考え方があるとは思いもよらなかった。似たものが全く見当たらないエピソードに至っては、「これはいったい誰との経験なのか」「想像にしてはリアル過ぎる」「どうして隠すのか。教えられない秘密なのか」「記憶になくとも、幼少時に目撃したんじゃないか」とまで言われてしまった。

何を登場させても、読んでいる人は「モデル」があると考えるようだし、自分も創作している人であっても、「モデル」が必ずあると思う人とそうでもない人の両方がいるらしい。

現実の出来事を話したり手紙で伝えたりするのと違って、「創作」という形のものが他人の目に触れると、このような見方をされるのか、と非常に驚いた。面倒なのでその後創作はやっていない。

記事への反応 -
  • 4ヵ月くらい前にフった彼女とは今もそれなりに仲が良いんだけど その子が趣味でとある創作活動をやっていて、よく俺に見せて感想を聞いてくる。 んで、先日久しぶりに新作とやら...

    • http://anond.hatelabo.jp/20061210135747 記憶にあるものの一部がパーツとして組み合わされて創作に現れただけで、特別な意図は全然ない気がする。 舞城王太郎の「好き好き大好き超愛してる。」と.

    • 創作女的にはまだフラレてないんだと思います ちゃんとトドメ刺せない男は、無責任な半人前だと思います コピペだったら殺す

    • http://anond.hatelabo.jp/20061210135747 箱作は坂本龍一

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