名前を隠して楽しく日記。
それは文化とはまた別の話では?
円の警告・国富を考える(1)
「円安は日本経済にプラス」というデフレ時代の呪縛が歴史的な円安を生んだ。物価・賃金が上がり始めた今こそ、成長モデルを描き直す好機だ。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB239Z60T20C24A5000000/
いっときGoogle日本語入力つかってたけど、
つかってない
MSIMEで満足してる
まごこでなんとかなる
呉子だけは
Atokだと変換した後PageUpか何かを押すと一部分だけ残らなかった?
男がその気になったら5分で殺されるのになんで隷属してくれると思うの?
その辺りは過渡期の話と思ってる
今みたいな放置を続けていたらとんでもなく金が掛かるだけなのは誰もがわかっていることで、
行政がそれに懲りたら、早めに医療が受けられるようにと考え始めるだろう。
セルフメディケーション税制だって、散々そっちの方が安いと言われていたのに
無駄と断じて削減してしまった行政の仕事を復活させて割り当てるとか、
必要だけど、健常者がフルタイムで働くには無駄みたいにされていた部分に割り当てられないかみたいな話。
税金の無駄と言われそうだけど、何もなしにこぼれ落ちた人に税金投入したり生活保護になるのを放置するよりはよほどコスト掛からないと思うんだよね。
これは逆
人は知り合って何のアプローチもないまま半年が経過すると相手を異性と見なさなくなる
最初から異性として見ている側はそのまま異性として見つづけるので、
要するにだらだらと距離を詰めないでいるからおかしなことになるのであって、
関係性が固定化されない程度に動きもしなかった時点でどうしようもない。
舟渡2丁目には結論から言って一戸建てが並んでいる。視認できる、技術的に構成されたものといえば、それと車である。これをまたお前の価値観で言っても、それが食べられるかというときに
あらゆる角度からみても、家というものが残っていてそれが見えるだけで中に何が住んでいるのか分からない。それだけここの住人は外に出てくるということがない。その、外出しないということについて、
なんで外出しないのか、というときに、自分が社会的に摂取できない、食べられるようなものではなく恥ずかしいから出て来ない、というのは飽くまで警察の、昔からある、他に手の取りようがないから
仕方がなくそう考えているといった、くだらない建前というものであろう。私ははっきりいってここを5年前からみているが、家があることしか見たことがなく、何が住んでいるのかということを見たことがない。
またこの辺に、自分は摂取できるようなものではない、社会的に食べられるようなものではなく恥ずかしいから世間体があるから出て来ないのだという通念がここにあるとは思えない。
更に東京や埼玉にはそういう通念があるようなところではないので、この辺に住んでいる人間の何を考えているのか分からないこと甚だしいものがある。車の番号では、ひたすら、 ちっ、などと言い、
そういう人間が他人に食べさせるなどということを考えているとは思えない、その意味でも、こいつらに、自分は摂取できるようなものではない、世間様、他人様に害を及ぼす存在だから我慢しているのだ
といったような考えがあるとは思えない。そんな善良な考えをしている者が、ちっ、などと舌打ちをするはずがないからである。確かに、令和3年の東京大学の現代文の問題は、 食べる話、江戸の妖怪
といった論文が出ている。そのように、東京大学が、食べることと、今の東京を江戸であって、そこに妖怪が出ると考えているのではないかということが理解できる。
山森将智家?