はてなキーワード: ヒッパルコスとは
「西岸良平って、あの『変な絵』で『昭和臭い』漫画の人だよね?」
その認識は、間違っていない。全くもって問題ない。確かになんの差し支えもないんだが、多くの人はビッグコミックオリジナルに掲載の「三丁目の夕日」しか彼の作品を知らない。映画で知ったり、コンビニ本で見たり。他に知っていても「鎌倉ものがたり」くらいだろう。
そして、彼の作品の対象年齢層は、主に50代以降。「古き良き昭和の時代」を少年時代/思春期として過ごして、思い出の1ページとして色濃く脳裏に焼き付いた世代。
要は、若い奴はまず「あの絵」で敬遠してしまう。「なんかきもい」「とにかくへん」「口がデカい」「あんな人間いない」「デフォルメされすぎ」「みんな似たような顔」「スターシステム使いすぎ」「古くさい」「進歩がない」「何よりダサイ」など(全て俺の偏見的「考えられる意見」だが)。
それは、あなたが「三丁目の夕日」しか知らないからだ、とここに断言する。そして力説しよう。
と。
リストとしては、
など。そしてこれらに「ある程度」共通する特徴を列挙しておく。
これらの要素の他に「SF」「超能力」「変身」「受験生」なども。そして、ここで注目すべきなのはなんと言っても「後味の悪さ」だろう。これこそが彼の短編集を薦める理由でもある。
ここで一例として「魔術師」収録の「ジキル博士とホンダ氏」のあらすじを記しておく。
二重人格の研究を続けている痔切(←ジキル。彼のネーミングセンスは好きだ)博士は、ある日「学業優秀・スポーツ万能・明るく温厚で正義感強く・やや協調性に欠ける」という「典型的な正義の味方」である本田氏に「もう一人の自分」を呼び覚ます効果のある薬を投与する。
気が付くと彼は「スーパーマン」の格好をして街を破壊している自分に気付く。実は、彼は元々クリプトン星で生まれたクリプトン星人だったが、かれらの星の滅亡の際に地球に彼を「最新の技術」で送っていたのだった。着陸時のショックで記憶を失っていたのが、その「薬」によって記憶を取り戻した。
そして彼は恐ろしい新聞記事を目にする。
「狂ったスーパーマンの恐るべき破壊により人類の危機迫る・・・」
最後に彼はこう泣き叫ぶ。
「ばっばかな!
これはみんな夢だ!
あの薬で見ている
悪夢なんだーっ!」
この話も含めて、全体的に読んだあと「うわあ・・・すげえ空しい・・・」「読むんじゃなかった」「かわいそうすぎる」「あまりにあんまりだ」「なんだこの虚無感・絶望感は・・・」などと非常にしんみりとした気分になる。あからさまなハッピーエンドもあるにはあるが、個人的には「力を入れずに」描いているように思える。
短編集で多く見られる「後味の悪い」作品には、「人間なんてしょせん」という彼のニヒリストとしての一面が垣間見られる。「美しい昭和」「なんとなく全てうまくいく」「しあわせな日常を送る人々」という、おそらく多くの「ライト西岸読者」の持つ彼への印象を、ことごとく打ち破る力が、短編集にはある。
ちなみにそれらは、1970年代後半に描かれたもので、初期の三丁目の夕日(プロフェッショナル列伝)よりも読みやすい絵、かつ「深い」「考えさせられる」話が多い。しかし残念なことに、それらは古本・オークション・マーケットプレイスでしか入手できない。絶版なのだ。
俺は、何らかの手段で購入することを強く勧めたい。特に「孤独」「非モテ」の層に対して。彼の作品に時折見られる残酷なまでの「現実感」は、月並みな言い方だが「ある種のカタルシス」を味あわせてくれる。そして時折見られる「ギャグとすれすれの不条理」もそれと合わせて、彼の魅力を引き立てている。
不条理と言えば「可愛い悪魔」に出てくる「自称」イエスキリスト2世だろう。虫歯が突然痛み始めた主人公の前に現れる彼(ちなみに彼、「その後のストーリーのなんの伏線にもなっていない」ところが逆に不気味さ出している)は自分を「イエスキリスト2世」と名乗り、彼が「アーメン」と唱えた瞬間痛みがスッと消えた。
そして彼は自分の人生について語り始める。彼は昔から、「人の痛みが自分に移ってしまう」人間であるという。病気の人間を見ると「相手はケロっとして自分の苦しみがドンと増す」ようになり、ある日「5人乗りの車が事故を起こした瞬間を目撃」した彼は「気が付くと宇宙を飛び回って」おり、降り立った星には砂漠が広がっていた。
ふと見ると十字架にイエスキリストがはりつけられており、「俺の代わりに神をやってくれ」と言われ、それから自分が「イエスキリスト2世」であることを自覚したと話す彼に、急に痛みが押し寄せる。彼は注射器を取り出し、自分の腕に注射。そこを警官に取り押さえられ「麻薬取締法違反」で逮捕され、唖然とする主人公一行、の図。
特筆すべきは、このシーンはこの後の展開に「なんの影響も与えない」点である。私の読解力では、そのシーンが一体何を意味するのかは分かりかねた。「彼なりの不条理」を「きまぐれ」に「遊び心」ではさんだ程度にしか考えていない。