はてなキーワード: シャンシャンとは
むかついた。
青臭いガキだと思われたんだろうけれど、いわずにはいられない。
現実と理想。
いいんだよ、理想においつかなくったって。いかに建前から乖離した現実を生き抜かなければならないとしたって。
俺だって、現実路線を否定したいわけじゃないんだよ。
消費者の選好構造くらい理解している。消費者はインセンティブが与えられなれば行動しない。消費者はいつだってどこだって現実路線なんだよ。だから、建前とは乖離していた不正な状態であったとしても、生きていくためには甘受しなければならないよ。
いや現実の選択肢はひとつしかないよ、わかってんの、この現実を受け入れなければ生きていけないんだよ、とあなたはいう。
だけど、俺がいいたいのは、ダブルスタンダードはダブルであることに大きな意味があるってことだよ。
これがあたかもシングルであるかのようなコンセンサスをとってしまっては理想の理想たるゆえんも建前の建前たる基盤も揺らいでしまうんだよ。
コンセンサスをとるべきなのは、悲惨な現実を単一のレイヤーで理解するシャンシャン式の和の尊びじゃあなくて
理想であり建前であり、本来的な正義はどうであるかだ。
別に正義漢ぶって、現実も正しくあるべきだ、と主張しているんじゃねぇぞ。
血塗られた現実を生きつつも、現実が理想においついていないね、というコンセンサスがほしいだけだ。
本来の正しさに対する共通理解がほしいだけだ。
本来の正しさ・公正さというのは、公共のルールを構成する。
それはまがりなりにも現実を生きる指針であって、それを現実はひとつだというふうに考えてしまうと、ゆがんだ現実のゆがみを指標に物事の理を予測して生きるしかなくなる。つまり空気を嫁っていうことだ。
しかし、だよ。
だからこそ、クリーンな説明責任がもとめられ、業務を委託された業者がおかしなことをしていないかを監督する義務がある。
不公正な業務実態に対しては不完全履行として正当な対価を支払わないことはありうることだ。こういう理屈なら理解できる。
委託業者が交わした契約自体は公正だけれど、契約内容があまりに税金の無駄使いである場合、委任の趣旨から不適正な契約ないし業務という非難をするべきであって、契約の履行に不正があるというべきではないだろう。
契約が正しく履行されていない→だから業務委託費用を支払うことはできないという理屈は、契約履行が不正である場合にだけいえることであって、契約内容が委任当事者に不利であるような契約である場合には、契約内容自体の公正さはとりあえず認めたうえで、そのような不合理な契約を締結したこと自体を委任契約違反としてとらえる必要があるだろう。
これってきちんと区別されるべきことでしょ。
だいたい、理想・建前・正義から現実は程遠いとしても、ゴールがどこにあるかを見定めることこそ、市民の市民たるゆえんじゃねぇのかよ。
消費者としての自分自身の振る舞いが、まるっきり環境配慮型でないにもかかわらず、環境問題を議論していたりするダブスタはそれ自体どうということではない。いちいち自分の政治的信条と行動を一致させる必要なんかないんだよ。
現況の制度が消費者としての自分に環境配慮のインセンティブを与えないのだから、ゆえに公共的な議論として制度を変革しようという議論だって十分になりたつだろ。消費者としての振る舞いは市民としての資質とは無関係だ。
善良な消費者が制度を変革するんじゃねぇ。市民的な共通善が制度を変革するんだよ。投票するのは消費者としてのアイデンティティじゃない。公共にかかわろうとする市民としてのアイデンティティだ。
【ゾーゼーハンターイ ニホンキョーサントーです】このコピーが戦略的に間違っているのは、市民に対する呼びかけになっていないからだ。