はてなキーワード: 矮小化とは
否。君がanond:20070215153329で表した反応は、「その発想」がコンセンサスに基づいているという決め付けだ。コンセンサスの可否を問うているか否かとは関係が無い。
コンセンサスの可否を問うことと、そこから娯楽感を得ている者が全てコンセンサスを経由していると決め付けることは同義ではない。よって勝手に無効化すな。
ならば初めからそういう風に問うべき。貴方がやったことは、私の発言を一般化し無効化しようとする試みで、私はそれを再度無効化しただけの話だ。
「その発想」がコンセンサスに基づいているという決め付け
そもそもanond:20070215152515は当初提示されていた「コンセンサスの可否」の問題を、ミクロなシチュエーションに矮小化し、正当化しようとした。既にこの時点で議論は本題から外れている。なので私はanond:20070215153329で議論を元の問題へ吸収し、その後本題へ戻すことに成功している(anond:20070215155624)。よって私が「決めつけ」を行ったことはいわば戦略的な要請によるもので、いささか乱暴な方法ではあったがご理解いただけるだろうか。
「社会的コンセンサスと自主性」という問題はまだ別の深いテーマなので、本題からそれるのを避けるべくやらない。その後この話を続けるのならもうレスポンスはしない。
もう何も書けない。自分がつまらない人間だということをまざまざと思い知らされた。巷で人気のある文章の向こう側に作者を幻視してみると、どいつもこいつも玄人ばかりでまったくいやになる。玄人の超絶技巧と誇大妄想の片鱗をロハで味わえるなんて素晴らしい時代になったものだ。彼らが繰り出す絶妙に神懸かったパンチラの如き言説に、みな一様にいきり立ちボッコスボッコスとブクマするのには思わず恍惚。
そんな現実を直視させられた自分が何をするのかといえば、
「所詮玄人の文章なんて金をだしゃあ買えるんだよ。コンシューマに移植されたエロゲみたいなものに悶悶としながらおそるおそる有り難がって反駁するなんてぇのは馬鹿げてる。自分だったらはなっからそんなものは読まずに堂堂と金を出し、まるで客のようなツラしてさんざッぱら楽しんだ挙句扱き下ろして辱めてやらぁ」などと息巻いて、さらに言うのだ。「より重要なのは素人の呻き呟きだ。こればっかりはいくら金を払っても見られやしない、本来ならば。こっちのほうがずっと価値があるのさ。つくりものじゃない、正真正銘のパンチラたぁこのことだ。神々しいねぇ。しかも黒い、眼福」
しかし、そんなことを豪語したわりに耳目を驚かす素人の文章を見つけると何とも複雑な乙女心をはたらかせてしまう。怨念と憎悪と私的な幸福がわずかに滲んだ詩的な感情に眩暈がする。実に素人くさい、改行のない、言葉の意味の取り違えが多い、ただ刺刺しいだけの野暮ったい文章。熱の籠った暑苦しい文章。ちっともスマートじゃない。ありふれた状況と、ありがちな感情しかのっていない文章。誰にでも書けそうで、だけど誰にも書けない。自分にはとても書けない。
だしぬけに嫌気が差して、あれは玄人の成りすましだということにしてしまう。如何にもじゃないかと自分を納得させようとする。そして、あの泥臭さ、懸命さ、熱量はつくりものなのだ、自分にも学習できるのだと矮小化してしまう。あるいは、あれは天稟に恵まれた人間の作品で、自分には真似できないと卑下し、相手を神格化するのだった。
それで惨めな気分にとらわれて、さようなら。
文章が読めていない。俺が問題にしているのは「不二家は悪魔の企業」という理由で複雑な問題を単純な器に矮小化し、魔女狩りをしているマスメディアの姿勢の話で、これは不二家の食品業界としてのモラルの問題とは関係しているようで関係ない。後者については俺は語る材料を持っていないし、興味すらない。カントリーマァム死ぬほど食ってもおなか壊したことないし、カントリーマァムがなくなったのならチョコパイを食べるからな。
不二家を批判したいのなら、その「悪い噂」というのは消費者にとってクリティカルな問題なのか、その問題を解消するにはどうすればよいのか、その問題を解消することでどのようなメリット・デメリットが生まれるのか議論が必要。何なら君が議論をすべき。あと不二家と書こうとすると「富士通」となってしまう、そんな俺はシステム屋。