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はてなキーワード: ホリックとは

2010-10-09

ワーカーホリックと秋穂巧

心理学系の大学卒の友人と話していたときのことだ。

私自身IT技術系の仕事をしていた。

その仕事でワーカーホリックを発症したのだが、どうも私と友人が出した答えと世間一般に若干ずれが有る気がする。

私と友人が出したのは

仕事社会的価値がある生産活動なのだが、行き過ぎた結果…

時間を忘れたいのではなく、脳内麻薬であるドーパミンがどばどば出てきて能がぶっ壊れた状態ではないだろうかと言う議論になった。

私自身あまりちょっと合い辛い業務内容だなぁと感じる仕事では程よく普通の人のペースで仕事が出来るのだが…

詳しく後述するけど困った点は仕事内容がとっちらかるのである。

話がIT技術系になると友人すらあきれるぐらいに幸福そうな顔や声になるらしい。

友人に言わせるとドーパミンどばどば出てるねー状態らしい。

友人曰くプログラマー仕事をしながらお手軽に脳内麻薬を出してると言うのである。

もしかしたら「いま、会いにゆきます」の秋穂君もランナーホリックだったのかも知れないね。

脳内物質がでたらめに出てそしてああいう感じになる感覚、私も似た経験したなーって思う。

私も過労うつに陥ってから数年働けなかったし秋穂君のような感じになっちゃってるところあるなぁって。

秋穂君は紙の通りにしか行動できない…のではなく紙がないと順序がぶっ壊れるんだと思う。

私もそんな感じなのでいきなり変な用事をつかまされると無理になる。

自分が「こう」と決めてたり組んだりするように動いてるはずなのだが人から見たら回りくどかったり。

簡単に記憶が抜け落ちるのである。

だから覚えるまでがものすごく長いがルーチンワークがこの手の人間には一番幸せなのかもしれない。

でもワーカーホリックになる人がルーチンワークを好むかといえば実はそうではないのが現実

ワーカーホリックになった人から仕事を実際取り上げるとどうなるか、他の依存になるだけなのである。

私の場合だが仕事をして社会性をあげてる自分が楽しくてはまるのだがだんだん手段と目的がおかしくなり危機感を感じながら、でも楽しいのである。

ものすごく変なのだけれどもそれこそドーパミンがどばどば出てるんだとおもう。

ドーパミン(=仕事)が切れちゃうと即うつになる。

どれくらいひどいのかといえば、仕事が終わるとこの世の終わりを感じたこともあった。

そして異常行動もあったなぁ。

会社に出たとたん道路で轢かれようとしたり、ホームから転落して爆睡してたり…。

最後の方は病院の隣にメンタルクリニックがあったのでそこでアナフラニールの点滴を受けて帰宅が常であった。

(唯一、この間心も体もなぜか休めたのでホームに転落するとかの防止もありましたね。)

仕事にはまりすぎるのも問題ですね。

2010-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20100713064715

両親が別姓でいること = 子供不安になる。

本当にそうか??って思う。勿論、そういう面もあるだろう。

不安をもっと詳しく書くなら、”僕はあなたたち(親)から大事にされていないの??”って気持ちでしょ。

でも、単身赴任とか、ワーカーホリックの親とかいろいろ、別姓以外にも上記の不安抵触することはある。

だから、別姓もそういう親と子供生き方の問題の中の1つでしかない。

で、単身赴任とかを考えてみると、

社会的に、最初子供のために良くない的な風潮があったけど、今じゃそこまでの感覚?でもないよね。

個別的に見ても、子供不安になったりせずにそれなりに暮らしている人がいる?わけだし。

データとか調べるの面倒くさいから、これだけで伝わってくれると助かる。)

つまり、

社会的な雰囲気(空気)で子供のために良くないんじゃないか??は、制度変化の過渡期としてよくある見方でしかないと思う。

子供不安になるっていうのも、別姓だから不安になるというより、全般的な親と子の接し方でうまれてくる(きた)感情だと思うので、子供と親の接し方について、理想的な関係を築く方法みたいなのを、突き詰めていけばいいんじゃないのかな。

2009-07-10

付け焼刃の経済学史でブラック企業がのさばる素地を考えて現在日本の状況を極めて独善的に整理してみる その2

その後、スティグリッツクルーグマン新自由主義批判を行いますが、ここからは日本に焦点を絞って考えようと思います。

日本人は元々「ワーカーホリック」と呼ばれるほど異常に働いてきましたが、

そのこと自体は美徳とされ、大陸ヨーロッパで見られるような

「働きすぎは社会的有害」という概念は発達しませんでした。

なぜかと言うと日本経済成長のおかげで、ほぼ非自発的失業がない完全雇用に近い状況にあり、

「働きすぎによって他者の雇用機会を奪う」社会への悪影響があまり認知されてこなかったことが大きな要因のように思います。

しかしその中でも若い人たちの間で、特にバブル期頃から

自分らしさ」とか「がんばれば夢はかなう」といったような主張をan・anやHanako系の雑誌が行い

フロムAが「フリーター」なる造語をつくり「アルバイトでも正社員でもない第三の働き方」とポジティブに扱うなど、

「脱・社蓄的働き方」志向は芽生えてきていたように思います。(香山リカ調べ)

しかし残念なことに「社蓄」の皆様は自分たちの働き方を否定するような彼らの生き方

「いつまでも夢見てるんじゃない」、「早く大人になれ」などと非難し、

彼らの生活が困窮したときにも我らが日本人が大好きな「自己責任」論を浴びせました。

しかしバブル崩壊の大波が彼ら正社員たちにも大きなダメージを与えました。

企業正社員コスト削減の名の下に非正規労働者へと変えていき、労働者の平均賃金は上昇しなくなりました。

ここでケインズの主張に立ち戻ってみると

「むしろ賃金の引き下げが総有効需要の構成要素であるところの消費と投資を減少させ、雇用状況をかえって悪化させる」

という負のスパイラル日本不況をさらに悪化させた側面は否めないと思います。

ケインズ賃金引下げが総需要を引き上げる効果を持つためには資本限界効率が上昇する必要がある、としていたため、

フリードマンらにが将来にわたる所得が消費を決定付けるという仮説の下では総需要は増加する、と反駁されていました。

しかしながら、フリードマンらの「恒常的に得られる所得」というのはすなわち身分の安定がもたらすものです。

したがって所得が不安定化したばあい、消費が収縮し、貯蓄傾向が増し、投資が減少するのはありうべき事象でしょう。

こうなると負のスパイラルから、一度正社員の身分から脱落した人間、または正社員になれなかった人間

なかなか正社員の身分に戻ることができません。

本来は供給過剰に陥った社会需要を喚起して、失業者を正規労働者へと回収していかなければならないのに、

日本がとった策は既存の正社員層(建設など)の生命維持のみで

新たな産業への需要を喚起しませんでした。

経済が成長していかない状況になると、企業は新たな投資人材含む)を行うことに躊躇し、

利益を出すためにコストカットし、ますます投資と消費を減衰させました。

企業バブルの教訓から、労働者雇用の硬直性が不況時に大きなダメージをもたらすことを警戒し、

雇用の調整弁としての非正規雇用化を着々と進めていきます。

オリックス宮内氏に代表されるような企業側の圧力から、政府は1999年、2004年に構造改革の名の下に

労働者派遣法を改正し、対象業種を拡大し、製造業においても派遣が認められるようになりました。

2008年の金融危機以降、本来労働者の味方であるべき労働組合

正社員雇用を守るので精一杯、と派遣切りに対して何の行動もしてきませんでした。

これははっきり言って組合使用者の「共同犯罪」だと思います。

2008年の10月以降の失業者のうち、

正規雇用者は僅かに6000人、非正規雇用者は12万人以上といわれています。

非正規雇用者を雇用の調整弁として正規雇用者を守る、

労働組合がこのような事態を甘受していたのは明らかです。

このようにバブル崩壊以降、日本労働組合は自らの権利を守るために、

他者を犠牲にする、という戦略の上に使用者側と交渉をしてきました。

この状態こそが、ブラックに勤める正規雇用者を我慢させる要因だと思うのです。

正規雇用者(労働組合を構成)は自分たちが誰かの犠牲の上に守られていることを自覚しているため、

自分がその犠牲者側に回ることを極度に恐れているのではないでしょうか?

しかし正規雇用者がそのように思うのはあまりに当然で、非正規労働者は実際にその労働に対して十分に報われていません。

ここで注意したいのは非正規雇用者にとっての正規雇用者も、正規雇用者にとっての非正規雇用者も

憎むべき敵ではなく共に働く仲間である

という当たり前の事実です。

これを憎んでしまうと、非正規雇用者は正規雇用者の権利を奪おうとするし、

正規雇用者はますます非正規雇用者との関係をとろうとはしなくなるでしょう。

非正規労働者と正規労働者の利害が対立しているわけではなく、

非正規労働者が「不当な扱いを使用者から受けている」わけです。

そのことによる労働ダンピングによって正規雇用者もまた苦しんでいます。

非常に当たり前のことですが、労働組合の力とは組織率、数の力です。

非正規雇用者と正規雇用者は対立するのではなく、共闘すべき存在なはずです。

ここまでを整理しますと

日本戦後ずっと右肩上がりで成長してきたために、失業問題に大きく悩まされる時期があまりなかった

②それがゆえに社蓄の害が単に個人の人生観に回収され、社会的問題とならなかった

バブル後の増加した非正規雇用者の悲惨な状況を見て(または未必に協力して創出し)失業への強い恐怖を抱くようになった

失業への強い恐怖から、不当労働行為を甘んじて受ける(法律上は勝てても経済体力的に持たないという理屈もあるだろう)

という流れかと思います。

提言編に続きます

2009-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20090406130356

パイってのは需要のこと。

奴隷ってのは生産の場での話。

なぜパイ需要)を大きくするときに奴隷が増えるのかを教えてくれ。

 基本的には奴隷(非雇用などで安く重労働をさせられている人)が増えるということはパイが大きくなること(可処分所得が増えて需要が増えること)とは逆ベクトルにあるはずだが。もちろん高額所得者向けの市場ではパイが増えたかもしれないけど経済学者やその他が唱えるパイの話はそこではない。

 時間外が際限なく出る中で奴隷というのがワーカーホリックであればパイは増えるかもしれんが。

2008-10-05

つづき

http://www.earthfield.net/new/life.htm

◎「石橋を叩いて渡る」人

100%はあり得ません。石橋でも壊れる時は壊れるのです。自分で叩き壊しておいて「この橋は危険だった。叩いてみて良かった。」と言うのは止めましょう。

その石橋を叩いて試している年月の間に次の橋が崩壊しているかもしれません。

石橋とわかっているならさっさと渡りましょう。

◎恐る恐る跳ぶ人

おそるおそる跳ぶと距離が伸びません。届くものも届かなくなってしまいます。

様々な思いは切って跳びましょう。巧遅よりは拙速を尊びましょう。

仕事編)

場違いな人

場違いな人がいると場が乱れ、通るものが通らなくなります。自分を変えるか場を変えるか、改善策を図りましょう。

◎しがみつく人

退陣は潮時です。刻を過ぎるとダメージがどんどん大きくなっていきます。

以後の美しさは、あなたの見事です。

払拭し清算しましょう。

◎他人のやっていることをしたがる人

自分にできることをしないで他所の人のやっていることばかりしたがる人は、いつまでたっても何もできません。

憧れるだけでなく自分のできることを磨いて、憧れられる存在になりましょう。

◎間違える人

空間の間、時間の間。。間を詰め、あせると間違いが多くなります。背中を伸ばして周囲を見渡し、一息入れてみましょう。これを行うだけでも良くなります。

あわてても美味しく入りません。湯冷ましに、ちょっと置いておくぐらいが丁度です。

◎手の遅い人

考えていても速くなりません。心理的ブロックや雑念が多いと遅くなります。身体訓練は必要です。やり遂げる意志で集中し流れましょう。

雑念や心理的ブロックを減らすためにも、エネルギーワークは有効です。

努力しているのに・・・という人

我慢し耐え忍んでいるだけでは「努力している」とは見做されません。成果や変化が必要です。アドバイスを受けたらやってみましょう。「周囲の反発が・・」なんて言い訳していないで、自分の行動を変えましょう。独り閉じ籠ってグルグル考えていないで、動かしましょう。

職場人間関係に悩む人

人間関係は相対関係です。つまり多くの場合、あなたにも問題があります。自分からは逃げられません。職場を替えても同じ問題が起きます。自分の問題点を探り、自分を変えましょう。

権威ぶる人

偉そうに下に文句ばかりつけて仕事ができるような顔をしている人がいますが、間違いです。時代が変わりました。見捨てられます。

部下や仕事、相手を見極めましょう。褒めるべきは褒めましょう。率先遂行しましょう。ポジションがなくても通じる人になりましょう。

◎ワーカーホリックの人

時間を潰しているのはあなたです。特定の事しか愉しめないのは人生の浪費です。

特定の事以外の中にも何かを発見しましょう。

義理や使命感で自分を殺す人

「〜しなければならない」「自分しかいない」と自分を駆り立てている間はいいですが、駆り立てられていませんか?

最初は「私、やりたい!」だった筈です。使命感は自分を殺し相手を殺します。やりたい気持を大事にしましょう。対象は変化しても良いのです。愛のために生きましょう。

◎任せられない人

人には物理限界があります。どれほど有能な人でも、任せることを学習しないと大きな仕事はできません。有能であればこそ任せましょう。あなたにはもっと大切な、あなたの為の仕事が待っています。

◎「楽をしたい」と言う人

人間動物です。動かなければ死にます。何が問題で、本当の望みは何か、もう一度自分に問いましょう。

◎安寧のために他を犠牲にする人

その安寧は長くは続きません。やがて自分の番が廻ってくるでしょう。その時あなたを助けてくれる人は、もう誰もいません。

他を活かす道をとりましょう。すると、安心が自然にやってきます。

◎「失敗した」と凹んでいる人

凹む必要はありません。二度と繰り返さなければ経験学習というメリットに変わります。

何故それが起きたのかおさらいして再発防止行動を採りましょう。

◎「元気がない」と言う人

ネルギ−は自分の内側から涌きます。「元気がない」という人は、エネルギ−ロスが多いか、外に求めて内から出していないのです。エネルギ−には流れていく先も必要ですから暇にしてると元気が出ません。何かをやって成果を出して自分に満足を感じていくと元気が出てきます。

◎成功して人生がつまらなくなっている人

その仕事を辞めましょう。持っているものを捨てましょう。成功しているのに、辞める必要があるのか? 必要はありませんが、いくらやっても得るものはないでしょう。つまらないのに続けるのは立脚点を失うのが怖いからか、やりたいことがわからないからです。得るものを得たら切り上げましょう。大切なことを思い出して人生楽しみましょう。

仕事とは

「事に仕える」の意なり。糞便と同じでやらざるを得ず、やると楽しかったり集中できたりスッキリしたりして自己発現のネタとなり、人の為でもお金の為でもなく自分とみんなの為であり、結果として時にお金も入ってくること。

Primitive(純粋)な喜びを思い出しましょう。

(お金編)

お金に囚われている人

お金は手段やチャンスであって、目的ではありません。真の目的を思い出しましょう。

それは必ずしもお金によらないものかもしれません。

◎「無料!安い!」に釣られる人

「只ほど高いものはない」とか「安物買いの銭失い」などと云います。その時は「得をした」と思うかもしれませんが、何でも欲しがるとつけ込まれます。自分が本当に価値あると思ったものにだけ、自分が適切だと思った金額を払いましょう。

お金や物=愛だと思っている人

お金や物をもらうと「愛してもらっている」と思う人がいます。あるいは自分には与えられないと「愛されていない」とか、「何か買ってやることが愛だ」とか。

ゴシップ記事を読めば分かるように、お金持ちに愛があるとは限りませんし、物やお金を受け渡ししたから関係が良好だとも言えません。

人を物のように扱う人に愛はありません。物も人のように大事にする人には愛があります。愛あるがゆえに物を与えないこともあります。

お金と愛は別です。分別をつけましょう。

◎金遣いの荒い人

お金は捨てると泣きます。何の為につかうのかを考えましょう。いい顔がしたいとか他人の目が気になる人はお金が生きません。欲求不満解消のためにお金を使う人は、ハケ口を求めて使うのではなく何故不満が起きるのかを考え、不満そのものを解消しましょう。

ブランドや肩書きに縛られている人

ブランド会社名前、肩書きで自分や何かに偉大さを感じている人は、見識が高いのではなくブランドに縛られているのです。その為に無駄な出費や労力を注ぎ込まねばならず失った時には自分がない感じがします。自分を見つけ取り戻し育てましょう。

◎愉しみに逃げている人

「自分には何もできない」と自分に制限をかけていたり、腹立ちを抑え込んでいたりしていませんか? 買い物をする何か食べに行くお金を使うだけが愉しみになっていて、日々の生活を楽しめなくなっていると要注意です。あなたにはきっと何かできます。お金を払って「してもらう」ばかりでなく、自分にも「できる」を楽しみましょう。

お金があれば何でも買えると思っている人

お金があれば自由も幸せも買える」と思っている人がいます。

でも、自分自身は買えません。自分からは逃げられず、何を買っても満たされません。

「何でも買える。」と思っている限り、愛も自己の意義も知らずに終ってしまいます。

価格とは何かを思い出しましょう。個々の瞬間の輝きに目を留めましょう。

◎遺産について

遺産の多寡遺言で争いが生じるのではありません。嫉妬や欲望によって争いは生じるのです。ですから生前に未来は予見できますし教育重要です。遺産自体は多少残すぐらいが丁度でしょう。その分その人は人類に何か価値あることをしたのでしょう。残される側もお互いの人間関係を見れば予見できます。「もらって当然」等の愛も感謝自尊心もないような考えは捨てて、争いが生じるようでしたら、高みの見物や全体の統括ができるような少し離れたポジションを用意しておくこともできるでしょう。

お金を出し渋る人

お金を守る奴隷と書いて「守銭奴」と言います。お金を守ると自由意志を失い奴隷となります。生きていても楽しくありません。楽しいっ!嬉しい!有難い!にお金を出すと、お金も自分も生きてきます。好きで大事なら生かしましょう。

◎味覚を失った人

砂を噛んでいるように物の味がしなかったり、何を見ても楽しくなかったりする人の中には、物事を金額だけで測っている人がいます。

自分が当てはまるようでしたら、一度ご自身の価値観や物を見る目をチェックしてみてください。

また、金額で物事を測るようなことをしていると、人生の楽しさを失う危険性がありますので、即刻改めましょう。

◎金額で感謝を測る人

何でも金額が高いと有り難がる人がいますが、現況では金額と価値マッチしていません。私達は空気がないと生きていけませんが呼吸代金を地球に?支払っていませんし、一方で、害にしかならない武器や薬物が高値で取引されています。金額で価値を測るのは物事の判らない愚か者のやることです。

自分の感覚を鍛えましょう。自分で価値を測りましょう。

◎「金やものがあるからダメになる」と思っている人

「清貧」や「武士は食わねど高楊枝」が格好良いとか、お金があると男は遊ぶし女は逃げるとか「お金があるから社会がおかしくなる」等と思っている人がいますが、お金や物が問題なのではなく、人が問題なのです。人を改善することを考えましょう。

お金持ちやお金儲けを悪いことだと思っている人

お金に善悪はありません。良いと思う仕事をどんどんやって、どんどん稼いで、良いことにどんどん使いましょう。

お金を儲けるには

お金を出す人の「欲しい!」欲求欲望や贖罪の気持ちが、あなたの収入に繋がります。人は、生存のため、恐怖や苦痛から逃れるため、快楽感動を感じるためにお金を払います。恐怖や不安を煽るという方法もありますが、虚偽は後で恨みや怒りを買いますので、やめたほうが無難です。後々まで感謝される仕事をすると信用が歩き出し、「人の言う者」=「儲ける」となるでしょう。

お金とは

お金はチャンスのひとつですが、実体はありません。お金がいくらあっても幸せとは限りません。お金を欲しいもの(実体)に替えると一時的にせよ満足や幸せを感じられます。しかしやがて「いくらあっても足りない。」ことや「お金では買えない。」ものがあることに気が付くでしょう。

人類と共にお金が存続するには、人や物を運びサービスするための感謝の形のひとつとなれば良いでしょう。

渡す時にも「ありがとう」 もらうときにも「ありがとう」 造り出したものたちや運びサービスしてくれている人々に感謝を感じるかどうかで存在価値が変わってきます。

(お勉強編・その他)

◎愛されたい人

愛されたい人は、愛されません。「欲しい、ちょうだい!くれ!くれ!くれ!」と纏わりつくと鬱陶しく感じられます。そんな人に喜んで何かをあげる気にはなりません。他人に何かを求めるのは止めましょう。自分で遊びましょう。自分の行為の中に楽しさや嬉しさを見出しましょう。

愛は自分の内側から聞こえてきます。愛は内側から湧くものなのです。

自分の中から生かすエネルギーが溢れている人は、自然と愛を感じていますし、特に「愛されたい」とも思いません。そんな美しく可愛らしく素敵な存在になりましょう。

◎「愛したい」人

自分に嘘をついています。本当は「愛したい」のではなく、「愛さなくては」という義務感だったり「愛されたい」の裏返しだったり損得勘定だったり、うわべで言葉を使っているだけでしょう。愛は物や取引ではありません。真実味のある自分の正直な欲求を問い直しましょう。

◎知識で感覚考える人

考えていては自転車に乗れません。「身につく」というのは考えるという方法では達成できないものなのです。

知識だけでは世界を捉えられません。しばし考えるのを止めましょう。身体トレーニングあるのみです。感覚を呼び醒し研ぎ澄ませましょう。

情報を求める人

他人の話や書物等の情報を入れるだけで咀嚼しない人は、頭が重く固く痺れて悪くなります。賢くはなりません。 賢明になるには、よく噛み砕き味わうことが大事です。本当か?と自分の体験と照らし合わせましょう。自分の体験を大切にしましょう。情報は最低限に絞って頭を軽くしましょう。その方が回転が速く正確な判断ができるようになります。

◎「むずかしい本」の好きな人

難しいのは、著者の本質的理解が足りないか、読む人の理解力が足りないかです。書き手が優れているとは限りません。むしろ頭の良い人は簡単に書きます。

難しい本が好きなのは、頭が良い気分を味わいたいだけかも。でもね、難解な書物を無理に読むと、脳が過放電を起こして力を失います。かえって頭悪くなります。

わかりやすい本を少しずつ読んで読解力をつけましょう。

時には目を閉じ頭を休めましょう。

◎議論好きな人

議論好きな人は真実を失います。真実追求の為ではなく、闘争や議論の為に言葉を使うからです。

言い訳や逃げ道を探すのは止めましょう。

真実の前にこうべを垂れる勇気をもちましょう。

人類や周囲の人を馬鹿にした人

あなたの足は地につかず、自分が何者かついに知ることはないでしょう。自分を信じず、人の言うことを聞かず、見捨てられていきます。自分の無い中途半端生き方を辞め、自分や人類に誇りが持てるよう真剣に生きましょう。一所懸命にやりましょう。

◎敵がいないと存在できない人

「打倒、OO!」と叫び行動して、倒してしまうと自らの存在価値そのものを見失う人がいます。

以後の進化ある姿を見据えましょう。

更なる敵を求めて血眼になったり順位が替わっただけで何も変わらないなんていう愚かしい状態は避けましょう。

そもそも戦う意味があるのか、自分の本当の望みを見直しましょう。

破壊を愉しむ人

破壊を愉しむ人は未熟です。創造破壊を比較すると創造の方が困難だからです。

造る歓喜を知りましょう。その愉しさは深いものです。

◎自分の恐怖の裏返しで他を破壊する人

他をどれだけ破壊しても恐怖は尽きることがありません。自分の恐怖は自分で乗り越えましょう。

◎強くなれば恐怖はなくなると思っている人

恐怖を越えるのは力ではなく覚悟です。強くなっても恐怖はなくなりません。

自分を知り覚悟が決まると恐怖を乗り越えられます。

乗り越え慣れてくると恐怖のない自分を発見します。

◎自分が他人を救えると思っている人

その人を救えるのはその人自身だけです。助けることはできます。でもそれは本人にその気がある時だけです。その気がないのに手を出すと、問題を先送りにし事を大きくします。助けたいなら手も口も出さないトレーニングをしましょう。

◎神頼みする人

日本神社には鏡が置いてあります。自らと向き合いましょう。

歪みを正し、心を澄ませ、自らに問い、自ら答えましょう。

◎ひとつになろうとする人

ひとつになろうとしてはなりません。ひとつであると知るのです。

ひとつになろうとするのは「ひとつではない。孤独だ。」と思っているからです。ですから、なろうとすればするほど、孤独感が強くなります。

ひとつであると知ったら、後はわざわざ「なろう。」なんてしないで、自分のできることを精一杯行いましょう。「ひとつ」に根ざした自分の活性化を図りましょう。

地球や他人を救いたい人

本当は自分が救われたいなら、正直にそれを認め、その為に行動しましょう。地球や他人に生活させてもらっている自分の立場を知り、感謝と共に自分を救いましょう。

◎救われたい人

いくら待っても叫んでも、それはやって来ません。自分を救えるのは自分だけです。

行動しましょう。まず、自分の長所や恵まれている処、持っているものをありったけ書いて、壁じゅうに貼りましょう。

少なくともボディはあるでしょう? それからそれから・・・・。

そして感謝を以って幸せコンタクトしましょう。

◎「選ばれた」人

「選ばれた」と思い優越感を感じるのは、自分に劣等感を感じ選ばれることで補おうとしているのです。

それでは問題解決になりません。不満は無限に続きます。他人基準を辞めましょう。本当の自分は此処にいます。

今の自分基準で自己改善努力をし、成果を喜びましょう。「しあわせの青い鳥」の話を思い出しましょう。

◎他人の不幸をあざ笑う

「人を呪わば穴二つ」と云います。人の不幸を望んだり嘲笑する人は、自分の足元にも墓穴を掘っています。

人の良い処を見ましょう。人を褒めましょう。するとあなたの人生も明るくなってきます。

◎同情する人

同情する人は悦びを感じています。「可哀想に・・。」と言いながら悲劇の主人公を愉しみ、「自分じゃなかった」と喜びます。一種の不幸好きですが、不幸好きは幸せにはなりません。同情する癖があったら改めましょう。何故同情したのか追究して考え、不幸を感じる自分を解除しましょう。同じ轍を踏む危険性があれば回避する道を探しましょう。

◎悪い結果を想像する人

人生自転車に乗っているのと同じです。自分の見た方向に自然と行動し進んでいきます。悪い結果を想像していると運は向上しません。打てるだけの手を打ったら、運を天に任せて手放しましょう。悪い結果を想像するのは、心配であったり挫折感を少しでも減らそうという心理作戦ですが無駄です。結局それはやってきます。明るい方向を見て少しでも成功率を上げる方が人生の収穫は多くなります。

◎「恐いもの見たさ」の人

顔をそむけながら見るようなことをしていると、次第にそれに対する感性が鈍ってきます。

身近に危険が迫ってきても気がつかないかもしれません。

感性を保つには強すぎる刺激は害となります。自ら恐怖を味わうようなことは辞めましょう。

危険は避けて感性を磨き、幸せな良い方向を見るようにしましょう。

◎足がすくんで動けない人

「止」は「死」です。視ているだけでは進みません。タイムリミットは近づいています。

自分を叱りつけ、誰かに尻を蹴り飛ばしてもらってでも、一歩を踏み出しましょう。

檻の中の安全を捨て、何かをしましょう。転がりだせば、まだなんとかなります。

◎「悲劇のヒロイン」を演じる人

悲劇のヒロインヒーローを演じる人は悲劇や不幸が好きで、その中に悦びや愉しみを感じています。「ああ、私ってなんて哀れでみじめで可哀想なのかしら、ステキ!」「俺はみんなの犠牲となって死んでいく、カッコイイ!」といった感情です。その人は周囲に不幸を訴え、不運を嘆きますが、助けてはなりません。助けても苦情を言われますから放っておくことです。このような人は具体的な自助努力をせず、自分の不幸を愉しみます。

近くにいると騙されて道連れにされる危険性がありますので、離れて遠くから看取りましょう。

◎不幸好きな人

不幸の好きな人は幸せにはなりません。自分がどれだけ幸せコンタクトしているかチェックしましょう。見る映画や本はハッピーエンドですか? 感情移入している人物は幸せそうでしょうか? 街を歩いていて見る顔は笑顔が多いですか? 聴く曲はどうでしょう? 好きな絵はどうですか? あなたの見る風景幸せそうですか?

◎「しあわせ日記」をつけましょう

不幸にコンタクトしている方が多いという人は、「しあわせ日記」をつけましょう。

その日に幸せに感じたことだけ書くのです。一行でも一言でもいいです。もちろん、多い方がハッピーです。「いい人を見た。」とか「おいしいもの食べた。」とか「靴のひも、結べた。きれい。」とか。しあわせでないことは即座に忘さり、時々日記を見て幸せな気分に浸りましょう。

◎さて、「幸せ日記」やこのガイドラインにも、役割の終わる時が来ます。

その時は、あなたが既に過去幸せに浸る必要が無く、未来を視、現在を楽しむ境地にいる時です。

言葉限界に制限されず、自由に感覚を愉しむ時です。おめでとう。

◎人の善い処を見ましょう

「お見事!」とは見るべき事の意なり。 悪しき事は見るべき事にあらず。

http://www.earthfield.net/new/life.htm

恋愛日常編)

◎なにも悪いことしてない人

自分以外の誰かのために一生懸命頑張って、自分を置き忘れていませんか?

自分にも価値を認めないと支えきれずに潰れてしまいます。

自分自身も周囲のものも大切にして、活かす道を探りましょう。

◎「いいひと」

自分のことを「普通、どちらかと言うといい人」と思っている人の中には、「どうでもいい」人がいます。様々なものを見捨ててしまっているが故に「気になることや問題はあまり何もありません。」と言います。

過渡期の現在、本当に良い人なら当たり障りのない人生は過ごしません。常に自分と周囲のための改善を図っていくことでしょう。時には困難もあるかもしれませんが、実りの多い人生となるでしょう。せっかく生まれてきたのですからライブ楽しみましょう。演る側にまわりましょう。

◎優しい?人

自分のことを「優しい」と評価する人のなかには、弱い人や易しい人もいます。気を使い、相手の強引さに負けやすく、自分の弱さの為に何かを譲ったり我慢をしたりする人です。

真の優しさとは強く、時には相手にも自分にも厳しいものです。 優しく、気高く、そして誇り高く在りなさい。

もう一踏ん張り、そしてもう一踏ん張り、譲らないことをトレーニングしましょう。

◎「頭ではわかっているんだけど・・・・」と言う人

理解が浅いか、深層では矛盾した考えを有しているか、思考と感覚や感情等との統合がとれていません。矛盾点がないかもう一度考え直しましょう。自分を棚上げせず、普遍性や立場が代わった場合等他のケースではどうか見直してみましょう。感情や感覚に合わせてみましょう。----自分では、あるいは周囲の人に聞いても、どうしても解決に繋がらなければ、本当は知らないのです。何かが根本的に間違っています。 諦めて、エネルギーワーク等をお受け下さい。

◎全てを許せと教えられた人

全てを許すなら、自分の素直な反応も許しましょう。怒るべき時には怒りましょう。

反応を止めることはエネルギ−の流れを止めることであり、無理を生じて破綻を来します。

自分の自然な反応を許さず他の「全てを許す」というのは「見放している」というのと同じことです。

自分という存在さえ見捨ててしまっています。自分を許さずに世界を許すことはできません。

自分の為に過去を赦し様々な未来を許可すると自分と世界が緩くなります。

◎「してもらうのが当然」の人

「してもらうのが当然」なら「してあげるのが当然」でなくてはなりません。

してあげるのを嫌がると流れが止まり運が尽きます。もらう以上にあげるぐらいが良好です。

◎同じを求める人

あなたと相手が同じになると流れが止まり、お互いの芽を摘むことになります。

活かすとは変異を認めることにあるのです。自分と異なる点も大事にしましょう。

◎傷ついた人

感情面で傷ついたり気に障るのは、そこに感情障壁があるからです。

あなたがバリアーを張っていて、そこに何かが触れたからなのです。

痛いだけのバリアーをはずしましょう。そうすると心の傷も一緒になくなります。

◎自信のない人

自信のエネルギーポイントは胸にあります。

うつむかずに顎を引き、肩を張らずに胸を張りましょう。そして自分のできたことを思い出しましょう。

周囲の人のできたことばかり思い出される人は、そこにあなたのサポートがあったことを思い出しましょう。

自分が何者かを思い出したら、自分の望む方向に粘り強く進みましょう。

その歩む行為があなたの自信となります。

◎暗い人

人や何かのために行動して褒められたり成果が出ると明るくなります。

褒められないのは、

 足りないか

 相手を間違えているか

 あなたの「人を測ったり責める気持ち」>「人に感謝や嬉しいの気持ち」だからです。

節操のない人

節操のない人は真実に届きません。尻軽にあちこち飛び歩いていると大事なものさえ見過ごしてしまいます。おいしそうなものばかりつまみ食いするのではなく、一つ一つをよく噛み締めましょう。そうすると人生が実りあるものとなります。

◎他人の応援ばかりする人

あなたと応援している相手との方向が同じとは限りません。むしろ人はそれぞれ別の存在です。

あなたにもできます! 自分のために自分の力を発揮しましょう。自分を応援しましょう。

◎他人のせいにする人

「あの人がこう言ったから。」等と自分の行動を他人のせいにする人は、その成果や喜びも自分のものとはできません。それでは奴隷「ひとでなし」と同じです。

やりたくないときは、断固「否!」を通しましょう。自分の意志でやりましょう。自分の責任でやりましょう。

自分のやる気でやった時に、達成感が生まれるのです。つまんない人生とサヨナラしましょう。

◎期待に沿えなかった人

期待に沿う必要はありません。期待は重石です。あなたに重石を載せるような人の言うことを聞く必要はありません。

あなたがやりたいだけできたなら、それでいいのです。

◎迷惑をかけてはいけないと教えられた人

迷惑はかかるものです。「迷惑をかけてはいけない」を厳密にすると生きていけません。そして「これぐらいなら許される」というものでもありません。ですからむしろ自分がどれだけ他の存在に迷惑をかけているのか意識して正確に測りましょう。同時に御返しについても測りましょう。その量が多いということは、自分を活かし他人を活かしているということです。

◎恩返しできなかった人

受け取ってもらえなかったり、いなくなってしまったり、そのとき自分に力が無かったり。悔やんでも悔やみ切れず自分を責めてしまう人は、恩を下に返しましょう。そうして人類は良い行為を続け増やしてきたのです。「私も昔してもらったから・・・」というあなたに助けられる人は、どれほど多いことでしょう。

◎どうしたらいいか判らない人

どうしたら良いかは、調べ、考え、尋ねれば分かります。その先は自身の実践と試行錯誤の繰り返しです。

「兵は巧遅より拙速を尊ぶ」とも云います。実践し、経験し、やり直しましょう。前進あるのみです。

◎気遣いの多い人

気遣いが多いのは、人や問題を深いところで捉えず、表面的に取り繕うことばかりを繰り返しているからです。

気遣いは、「人に嫌われたくない」「責められたくない」「仲間はずれ村八分にされたくない」という恐怖心から発しています。

恐怖心から発する行動に、愛はありません。愛は深く強く、障害をものともしない、すべてを生かす力です。

目を逸らさず人や問題を直視しましょう。根本的な問題解決を図りましょう。ときには手を出さず見守ることをトレーニングしましょう。

◎「気遣いがない!」と怒る人

自分の機嫌が悪いのを八つ当たりしていませんか? 本当は気遣いは必要ありません。

愛があれば良いのです。

自己中心的な人

自己中心的な人には中心がありません。自己の望みを知らず空洞の円の周囲をグルグル廻っています。そのため満足を知らず、感謝助け合い意味が解らないので怒り、勝手な振る舞いをします。

自分の望みや満足を問い直しましょう。作戦を捨てて一直線にそれに向かい、人のありがたさを知りましょう。適当生き方なんて辞めてしまいましょう。

◎なぜか時間に遅れる人

できない約束やしたくない約束を重ねてきたのかもしれません。自分の中で「守らなくちゃいけない」と「縛られるのは嫌だ」がケンカしています。気遣いや「いい顔をしたい」等は捨てましょう。やりたいことだけ約束しましょう。そして約束は「しなくちゃいけない」義務ではなく、その時になったら「やってもいい」許可だと受け取りましょう。

憂鬱な人

あれもこれもと望み過ぎです。自己矛盾や嘘、言い訳や無理矢理がありますから、諦めましょう。

やれることからこつこつやって、自分の出来を愉しみましょう。

◎待ちくたびれた人

あなたは実際の時が来る前に想像イメージトレーニングを行い、同時に生命エネルギーも使い果たしてしまいました。

エネルギーを使い果たした状態ではイメージ通りに行くはずがありません。

想像するのを止めましょう。その時間は何か他の愉しみに使いましょう。

現実世界の変化は多様ですから、「うまくやろう」という考えは捨てて、臨機応変に世界と自分の変化を楽しみましょう。

◎意地や見栄を張る人

意地や見栄を張るのは、立場を失うのが怖いからです。でもその立場は砂上の楼閣です。

維持するために出費がかさみ崩れ落ちてゆくでしょう。

本当に守りたい何かのために恐怖を乗り越え最適な立場に移りましょう。全てを失う前にカミングアウトしましょう。

プライドの高い人

人間関係上下関係だけで捉えていませんか?

いつも「あいつの方が上だ、悔しい。」「自分の方が上だ、ふふん。」「みんな、間違っているよ。」なんてやっていると疲れてきますし周囲の人も離れていきます。良いアドバイスももらえなくなりますし、アドバイスされると傷つけられたような気分になって真っ当に受け止められないでしょう。

本当は世界は開かれている協力関係にあります。横つながりの助け合い世界です。

素直に「できないの。」「お願いね。」「ありがとう。」って言えるようになりましょう。

心を開きましょう。

プライドと自負心

プライド(pride)は「群れ」です。プライドの高い人は、時に周りの評価に振り回されます。

また、自負心の強い人は、自分で自分に負わせた重荷に耐えかね潰されることがあります。

目指すところは同じです。自分を大切に。周りも大切に。

◎優劣にこだわる人

こだわり過ぎると自分と相手との間に壁をつくり、自分を閉じ込め孤立させます。

囚われず視野を広く持って人それぞれ条件が異なることを知り、自分と相手お互い各々の「素敵!」を見い出しましょう。

◎一番になれば認められる、と思った人

できるかどうかと、他人が認めるかどうかは別です。例を挙げれば、歌が上手だからといって歌手になって有名になるとは限りません。他人が認めるとか有名になるというのは、その「一番」とか「できる」とは別のもので、努力の方向性が異なります。考え直しましょう。

◎他人が羨ましい人

あなたはその人の人生の素敵なシーンだけを見ています。

人はそのポジションにつく為に様々なものを支払い、いる為に条件を科しています。あなたにとってマイナスと思われるそれら全てを引き受ける覚悟があるか、自分に問うことです。そして覚悟があるならそれに向かって行動しましょう。

◎兄弟姉妹間の嫉妬について

親や兄弟姉妹と比べるのは辞めて全人類と較べなさい。兄弟姉妹がどうかではなく、自分の内側に答えを問いなさい。

その時あなたは独立した存在となれるでしょう。

◎父の教え

我が父は私にこう教えました。「ぼくは人生は円のようなものだと思う。生まれたところを中心に円を描き、その円から次の人がまた円を描く。」

父母を競争相手のように感じている人は、間違いです。そもそも発進点が違うからです。 どのような円を描くかが大事です。

◎二番目に多くある問題

セカンドはトップとよく比べられ、自分でも比べます。比べるときに、人は物や行動や他人の評価を物差しにすることがよくありますが、間違いです。物質化した結果を比べている限り、セカンドはオリジナルに成れません。大事なのは優れた結果を生み出した考え方です。セカンドやコピーであることを悩む人は先ず「比べる」ということを止めてみましょう。結果を真似て超えようとするのではなく、考え方を学び自分で練ってみましょう。

◎張り合う人

周りと同じでないと不安なくせに、横の人より優れていたいというのは、自己矛盾です。自分を見直し抜け出しましょう。

◎1番にしがみつく人の問題

「OOのトップ」とか「スーパーOO」とか呼ばれる人のなかには、そのポジションにしがみつこうとしている人がいます。このような人は後ろから迫ってくる人のことが気になって実力が発揮できません。ネガティブキャンペーンなど内部抗争に気をとられているうちに外圧に潰されます。今までのように前を向いて走りましょう。次を目指しましょう。身に合わなくなったポジションなぞ、置き去りにしましょう。

◎ひがんでいる人

ひがんでいる人は、心に壁があって目からも耳からもマイナスしか入りません。心にプラスが残りません。ですから、周囲の人がいくら褒めた言葉や仕草を与えても気持ちが通じません。結果として本人は「認められていない、認められたい」と思いますし、何かモノをもらったりしても「普段認められていないんだから、これぐらいもらっても当然よっ!」ぐらいに受け止めてしまって感謝が生じません。周囲の人にとっては「やりがいのない人」となります。

ゆがんだ目で見ても物事はまっすぐ視えません。「あいつばっかり良い目にあって」「自分ばっかり損をして」と感じる人の問題は本人にあります。先ず自分のひずみを直しましょう。見直しましょう。あなたの思っている以上に世界は正当にできています。

イライラしている人

あなたはエネルギ−と時間を浪費しています。疲れてイライラして周囲へ当たるのは、既にエネルギー不足を起こしているからです。良い仕事はできません。眠りましょう。

そして自分のエネルギーがどこで浪費されているのか検索しましょう。

◎諦めきれない人

「あきらめる」とは明らかであると知ることです。「諦めたけれど・・・」なんて「〜けれど」がつくようでは未練です。ちゃんと痛手を味わいましょう。

「もし〜だったら」などと逃げないで、その時点のあなたではどうしようもなかったと思い知りましょう。

何かを学んだら自分を許して時に任せることを知り、過去の事は澄ませて、今のあなたにできることをしましょう。

◎手放せない人

「さようなら。」も愛の表現のひとつです。あなたは知っています。

言い訳は止めましょう。あなたと相手のために勇敢に行動しましょう。

そのあとには、自由や平安、新しいチャンスが待っています。

完璧を求める人

「極める」という言葉があります。この世界は変化し続けています。ですから際(きわ)までは突き詰めることができますが、そこには行けません。行ったと思った瞬間にはそこが変化しているからです。完璧とはあり得ないことだと知っておくことです。

求めても得ることができないと知ることが差取りです。

コントロールしたい人

あなたと誰かは別存在です。ですから完全なコントロールは不可能です。あなたがコントロールしようとするほど相手は反発を感じます。あなたもその作業のために自由を失い、やがて破局します。

縛るものは縛られます。相手を自由にし、自分も自由に生きましょう。

◎すぐに見捨てる人

誰かを見捨てたり何かを見放すと、その時はスッキリ良い気分になります。でもそれは自分の可能性を捨てているのと同じです。いつかの可能性の為に見守りましょう。

◎過ぎてしまう人

幸せなとき」で終わるかは切り上げるタイミングです。

時を過ぎると過放電を起こして「疲れた」で終わってしまいます。

◎すぐに助けを乞う人

人は自分ができたことに誇りや喜びを感じるのに、あなたはそのチャンスを逃しています。

自分でやってみましょう。もうちょっとがんばりましょう。壁を越えましょう。

するとだんだん楽しくなってきます。活きてるって感じます。

◎逃げてばかりいる人

問題の多くは自分が引き起こしています。自分からは逃げ切れません。観念して問題解決を図りましょう。

◎逃げることに罪悪感を感じる人

状況に危険を感じているなら、できるだけのことをしましょう。

できるだけのことをして、それでもどうしようもなかったら

あなた一人でも逃げましょう。共倒れや全滅だけは避けましょう。

振り返らずに安全圏へ全速力で進んで、そこからできることをしましょう。

中にいてできなかったことでも、外からならできるかもしれません。

◎思い出に浸ってばかりいる人

過去存在を求める人に未来の席はありません。思い出にふけるのをやめましょう。

未来を視ましょう。今を生きましょう。

◎閉じこもって助けを求めない人

この世界は開放系で成り立っています。自分独りでできることには限界があります。

中でどうしてもできないことなら、外に助けを求めましょう。

閉じこもってフリーズしたりグルグル回っていても問題解決に繋がりません。

閉鎖系や物理限界について学んだら、「有難う」って開放系に切り替えましょう。

◎守ろうとする人

「何か(だけ)を守ろう」とすればするほど、視線は内側を向き、閉じた壁は厚く狭くなり

外は敵だらけとなり、守ろうとしていたものさえ犠牲にして小さくすり潰していきます。

守ることは諦めましょう。閉じた円に先はありません。閉鎖系概念は生かすには矛盾なのです。

手放しましょう。開放系に切り替え、全てを活かす道を採りましょう。

◎「済みません。」しか言えない人

自分を閉ざした考え方のために「相手から奪っている自分」を感じて「済まない」と思うのですが、済まないでは澄みません。心に借金を重ねて濁っていきます。

借金してしまった分はとっとと返してしまいましょう。払いきれない分は「ご免なさい」と免じてもらいましょう。 自分を開いて「ありがとう。うれしいっ!」と感謝と共に元気エネルギ−を相手に上げましょう。

◎自分を責めてばかりいる人

「わたしのせいだ。」なんて自分を責めるだけでは問題解決になりません。また、できないことで自分を責めても仕方ありません。何故それが起きたのか客観的に考えましょう。自分と他人の責任を区別しましょう。再発防止の為に具体的に何が可能か列挙し行動しましょう。ニ度と同じ失敗はくり返さないと知れば、そのことは済まし、自分を澄ましましょう。

◎悪者探しをする人

誰かのせいにしても問題が解決するとは限りません。それが正当とも限りません。親兄弟や周囲の人のせいにしてもあなたは救われません。犯人捜しと問題解決は別です。自分を救うことも考えましょう。

◎「みんなが悪い」と言う人

最も悪いのは、あなたです。みんなに嫌われて当然です。他人のせいにばかりするのは止めましょう。不満タラタラ言いながら「自分にはできない」等の言い逃れをしたり弱者のフリをして助けを求めるのは止めて、自分で行動しましょう。

◎許せない人

本当に相手が悪いのでしょうか。問題の多くは自分が引き起こし、結果を受け止めたのも自分です。

同じことを許す人と許せない人がいます。「許せない」と感じるのは、感情のトラブルなのです。

考えた結果「許さない」という時は、自由や生存等を確保するという理由がついているはずです。何故許せないのか、何故そうなったのかを考えましょう。

復讐を考えている人

逆恨みは論外ですし、報復合戦は問題解決に繋がりません。しかし、理不尽なことをされたのでしたら、復讐は当然です。きっちり片をつけましょう。徹底的にやりましょう。

ただ、もっと賢いのはやられそうになった時にやることです。「正当防衛」なんて言葉もあります。そしてもっと良いのは、やられないことです。「君子危うきに近寄らず」と云います。

また、復讐を果たしたからといってあなたの喪失感や傷が癒えるとも限りません。ですから自分自身の救済も考えておいて下さい。何故それが起きたのかを考査して再発防止運動を行うのも良いでしょう。

◎いつも身構えている人

見境のないファイティングポーズは周囲の緊張を生み、無益な戦いを引き起こし共倒れの原因となります。戦うばかりが能ではありません。共存の道を探りましょう。自分が賢いことを証明しましょう。

◎闘わざるを得ない人

「殺るか殺られるか」という問題解決思考方法は難易度として易しいですが損害も大きなものになります。戦わずに済むが良いです。しかし闘わざるを得ない時は言い訳を考えずさっさと勝って終わらせましょう。

◎我慢している人

あなたの気持は漏れ出ています。溢れてしまっています。いくら笑顔をつくってみても口で何と言おうとも、気持は必ず伝わります。怒りを我慢しているのに周囲の人から「怒りっぽい人」と評価され、何も言っていないのに「言いたいことを言う人」「好き嫌いが激しい人」と言われるのは、全部ばれてしまっているからです。ばれてしまっているのに我慢する必要はありません。自分を出すことです。そして隠すのではなく何故隠さなければならないような自分なのかを考え、解決策を図ることです。

◎期待する人

期待とは自己表現欲求の他人への転嫁です。自分のやりたいことを自分でやり切っていないから欲求不満となって他人の肩に載るのです。

自分をやりましょう。自分でやりましょう。他人は別の存在で、期待通りになっても自分に真の満足感は来ないと知りましょう。自分で切りをつけましょう。

◎心配する人

あなたのネガティブなエネルギ−が状況を更に悪化させています。心配しても良い事はありません。現状を丸ごと承認し、改善のための自分の努力意識を向けましょう。

八つ当たりする人

自分の大切なものを傷つけています。怒りを出してはならないと言っているのではありません。怒って当然の時はあります。その時に怒りましょう。その相手に怒りましょう。我慢しているから溜まって本来向かうべきではない方向に殺すエネルギーが向かうのです。出すべき時に出しましょう。

コントロールのために怒る人

怒りは時として相手をコントロールするために発せられます。怒った時は相手の生命エネルギーを得ていい気になるのですが、他人のエネルギーは長持ちせず、すぐイライラします。不当に怒られた側は次の誰かに八つ当たりするか、予防または反撃を考えるでしょう。他人に依存するのは止めましょう。自分の内側から生命をくみ上げましょう。自分で自分を活かしましょう。

「ありがとう」と言えない人

気の強い人や自尊心の強い人の中には、上手に「ありがとう」と言えない人がいます。

「ありがとう」と言うのが自分の欠点や過失を認めるような気がするらしいのですが、

「有り難い」というのは、人間物理限界を知りそれを認めることのできる心の強い人が感じる感情ですので、

恥ずかしがらずに素直に表現すると良いと思います。

感謝を受け取れない人

餌付きの釣り針でない限り、感謝は素直に受け取りましょう。

そのほうが相手も楽になります。「当然のことをしたまでだ。」なんて肩肘張らないで

あなたは意外にいいことをしたのです。自分のしたことの価値を認めて

相手と一緒によろこびましょう。するともっと一緒に楽しく生きられます。

◎「感謝の気持が通じない」と言う人

感謝は自分がしたら済むのです。感謝の見返りを求めるのはやめましょう。

感謝とは

ニコニコニコ。「うれしいな。」「よかったね。」「ありがとう。」など

内から生命エネルギーが湧く感情や言葉

何かをもらうから交換に感謝するのではありません。

もらっていることに気付くと出る良い気持ちが感謝です。"I am Lucky!!"ってね。

良い気がしない時は、手放してみましょう。なくなると価値がわかります。

◎わかってもらえない人

まず自分や相手の事を理解しましょう。自分の矛盾点を見つけて解除し、自分をスッキリさせましょう。

相手の許容性等も把握しましょう。そして明確な意志を伝えましょう。

◎「何を考えているか分らない人」

情報不足であったり思考能力が足りない可能性と、価値観や思考プロセスが異なっていてあなたの理解外の可能性があります。情報や考え方を伝えましょう。また、理解外を許しましょう。

◎誰とでも仲良くしたい人

無理があります。負荷があなたやあなたの大事な人にかかっています。大事な人とそうではない人を区別しましょう。

人は各々異なっています。全員に好かれるなんて不可能です。嫌な顔を隠しながらお付き合いするのは止めましょう。

群れていたからといって助かるとは限りません。大きな船でも沈む時は沈むのです。良い人とだけお付き合いしましょう。

◎なぜ、嫌いなんでしょう?

「あの人とは付き合いたくない。」という人がいたとします。

その人があなたを傷つける人なら嫌いで当然です。でもそれ以外の理由なら、なぜかと自分に聞いてみる価値があります。

また、その人はあなただけを傷つけるのでしょうか? それとも誰にでもそのような態度をとるのでしょうか? もしあなただけに酷い態度をとるようなら、そこには何か理由がありそうです。周りの誰もがあなたを傷つける態度をとるなら、あなたに問題があるのかもしれません。

理由や問題を検索し、問題解決行動を採りましょう

◎「駄目」や「嫌い」の多い人

「嫌い」「駄目」が多い人はこの世界を楽しめません。その多くは思考制限による感情のトラブルです。産まれてから現在に至るまで家族や狭い社会からプログラミングされてきた結果です。自分で組み込んだものもあるでしょう。よく世界を観ましょう。世界は自由で様々な形で存在しています。自分の制限プログラミングをはずしましょう。

◎ジミー坊やと白ねずみの

心理学では有名なお話です。

ジミー坊やは白ねずみと遊ぶのが大好きでした。優しいおじいさんも好きでした。

ところがある人が、坊やが白ねずみと遊ぶたびに坊やに電気ショックを加えました。

幾度か繰り返されるうちに坊やは白ねずみが嫌いになりました。それだけでなく坊やはおじいさんも嫌いになりました。

おじいさんの長く白いひげが白ねずみに似ていたからです。

ひどい話ですが、似たようなことは誰にでもありうる話です。

例えば、子供の頃苦手だった誰かと同じ名前の人に対して、別人だと解っているのに何故か緊張してしまう等も、このパターンです。

(実際は、本人が気づかない処で混同などが起きていることが多くあります。)

このような制限プログラミングをはずすお手伝いをアースフィールドでしています。

◎奪い過ぎている人

何でも見境なく「私が」「私に」と言う人は、他の誰かのチャンスを奪っているだけでなく、自分の本当に欲しいものさえ見失ったり得る機会を逸したりします。

人には容量があると知りましょう。手を引くことを学習しましょう。そうすると人生が綺麗に流れて、今まで知らなかった世界が広がってきます。苦労していたのが莫迦みたいに思えてきます。

◎信じて裏切られた人

「信じる」とは不安を紛らす等のために現状を思い込みにより認識することです。ですから信じた様にならなくても不思議ないのです。人は変化し言葉は完全ではありません。人や言葉を信じるのではなく自分の目や感覚を信じましょう。予想通りにならなければ自分が間違っていたのです。自分にチェックをかけ直しましょう。

言葉に囚われている人

言葉は事物やイメージを切り取ったものです。その切り取り方は人や状況により異なります。全く同じというのは有り得ないのです。切り取る対象自体が異なる場合もあります。言葉は完全ではないと知りなさい。そして人により状況により言い方や受け止め方を変えましょう。

◎相手に合わす為や支配のために会話する人

その関係は長続きせず、あなたは会話をするのが嫌になるでしょう。会話はエネルギ−の奪い合いの為にあるのではなく、何かを理解し伝えるためにあるのです。無理な会話を止め、知りたい時や教えたい時だけ言葉を使いましょう。

◎不安の裏返しでしゃべる人

物凄くよく喋る人のなかには、自分の不安を覆い隠そうとしている人もいます。内容に殆ど意味はありません。聞く側としては、真面目に言葉を受け止める必要はありません。

自分が不安で喋っていることに気が付いた人は、一人のときに何故何に不安を感じているのか考え、解消しましょう。

◎黙っている人

言葉は完全ではありませんが、言わないと通じないこともあります。言うべきことを言わないと状況はあなたの望まない方向に行くかもしれません。

言いましょう。何を言えば良いのかわからない時は、相手の言葉意味を受け止められていない時です。

解るまでその場で問い質しましょう。

◎「見ザル言ワザル聞カザル」という人

ヒトのすることではありません。自分に関することは、ちゃんと見聞しましょう。言うべきことは言いましょう。自由と権利を取り戻しましょう。

◎言わずにやってしまう人

言わずに人の分まで何でもやってしまう人は、その人の行動するチャンスを奪っています。

問題点があるなら言いましょう。言っても伝わらなければ本人が気付くまで待ちましょう。

その間に、自分が何故それに不満を感じたのか自分の内側の答えも求めましょう。

言うばかりでしない人

あなたは自分の行動能力を失っていきます。自分のすべきことはしましょう。

誰がやっても良いことは手の空いている限り手を出しましょう。手を出して

自分の手で何かができると楽しくなり、あなたの行動能力もあがっていきます。

愚痴を言う人

愚痴を言う」という行為は、相手から生命エネルギーを奪う行為です。

自分は気持よくなりますが、相手は疲れてしまいます。相手に縁を切られても仕方ありません。

また自分が気持よくなるのも一時だけです。問題解決しないので、すぐに不満が溜まり同じことを言いたくなります。

問題解決の為の行動を起こしましょう。愚痴を言わないのも解決法の1つです。

◎恩を仇で返す人

何かをしてもらったり教えてもらった時に、文句を言ったりけちをつけたり愚痴を言うなど礼を失する人は、やがて相手にされなくなります。

お礼だけ言いましょう。何か言ってしまいそうなら頭を下げるだけにしましょう。

ためになったり嬉しかったら感謝も捧げましょう。

◎恩を義理で返す人

恩返しは、感謝と「やりたい」気持でするものです。「半返しにしておくかぁ。」などと金額で測ったり義理で返す人は、恩返しではなく好意に対して取引で応じているのです。礼を失する行為はやめましょう。自分の気持を大切にしましょう。

◎他人の意見占い等に頼りすぎる人

自分の感覚や自由意思を尊重しましょう。あなたの道はあなたの足元にあります。

◎話を進められない人

「考えてみます。」と話を持って帰った後、否定的な考えばかり浮かんだり二度三度と同じ相談をするようなら自分を疑ってみるべきです。誰かに相談して「考えてみます。」等で話を濁しているようでは、あなたの本気が疑われます。本気で問題解決したいなら具体的な部分までその場で話を詰めて、即行動しましょう。

◎愛想笑いをする人

自分に嘘をついています。口は笑っていても声や目は別のメッセージを伝えます。

他人に合わせて笑ったり怒ったりしていると自分の感情を見失います。

自分に正直になりましょう。心の底から笑えるようになりましょう。

愚痴をよく聞く人

愚痴は悪口です。それはあなたの意識を汚します。

あなたに愚痴を言うのは聞きそうな態度だからです。信頼しているからではありません。その人はあなたの悪口を別の人に言うでしょう。何の解決にもなりません。「私に愚痴を言わないで!」と硬く断りましょう。態度で示しましょう。改めれば問題解決法を考えてあげましょう。

◎相談される人

愚痴を言うかわりに人の意見を聞くタイプもいます。

「何々についてはどうでしょう?」と聞いて、ふんふんと頷きながらよく人の話を聞く。

でも実行しないし変化もない。何度でも同じことについて聞く。

聞かれている側は最初は気持が好いのですが度重なると疲れてきます。

自分のアドバイスを再検討するか、相手を再評価するか、時期が来ています。

◎何でも疑ってかかる人

それは期待が裏切られるんじゃないかという恐怖心から来ます。人は時に自己存在さえ疑います。しかし自分まで否定すると何も分らなくなります。ベストは制限のない思考をベースとした体験を積み上げることです。疑うなら行動しないことです。じーっと見てるんです。そして何か「分かった!」と感じた時か欲求が自分の中から起きた時に、その分だけ行動します。余計なことはしません。その分だけです。そしてまた結果やら何やらをじーっと観察するんです。疑うだけでなく「確認」という結果を出していくんです。そうして繰り返しているとだんだん自分と世界のことが解ってきます。そうするとだんだん生きているのが楽しくなってきます。

◎「石橋を叩いて渡る」人

100%はあり得ません。石橋でも壊れる時は壊れるのです。自分で叩き壊しておいて「この橋は危険だった。叩いてみて良かった。」と言うのは止めましょう。

その石橋を叩いて試している年月の間に次の橋が崩壊しているかもしれません。

石橋とわかっているならさ

2007-03-15

エロゲホリック

ここの使い方ってなんなんだろうね。

バレンタインデー菓子会社陰謀だ!ホワイトデーに3倍返しだと!?ふざけるな!女は皆死ねばいいんだ!マスコミ恋愛至上主義に踊らされやがって!なぜそれがわからない!」

「…ずっとこの調子です。二人きりで話なんてできるわけがない。」

「いや、刑事さん。どうしても二人だけで話をさせてください。この症例には心当たりがあるんです。そうでなければ鑑定できません。」

―何かあったらすぐにやめさせますよ

そういった不満げな顔の刑事を部屋の外に残し、佐藤は取調室に入っていった。

「俺をここから出せ!今すぐこんな腐った世界は今すぐにでも壊さなければならない!」

「はじめまして。あなたの担当をさせて頂くことにな…」

「出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!」

「落ち着いてください。」

「出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!出せ!」

「いいですか。

 あなたのいま感じている感情は精神的疾患の一種かもしれません。しずめる方法は私が知っています。私に任せてくれませんか。」

「ちょう・・・せん・・・せ・・・」

佐藤言葉を聞いた男は、何事かつぶやいた後にまるで火が消えたように大人しくなった。

「さて。やっとお話ができそうですね。単刀直入にお尋ねします。あなたはアダルトゲームエロゲーですね。を遊ばれた事は?」

「…あります」

「やはりそうですか。それもかなりの頻度でプレイされている…」

「はい」

「では、もう一つお尋ねします。とは言っても別に答えなくても結構なんですが。

 あなたは特定の女性と親密な関係になり、性的交渉をもたれたことは?」

「なぜそんな事を聞くんだ!お前も恋愛人間としての価値の全てを決める屑なのか!」

「いいですか。これはどうしても必要な事なんです。私は貴方と同じような状態になった方を何名も見てきました。そして彼らには共通するう特徴があったんです。それが全員アダルトゲームの愛好者であったこと、そしてもう一つは今まで一度も恋人と肉体的な関わりを持たなかったこと。です。」

ゲームの趣向と今回の件は全く関係ない!エロゲ現実逃避でもない!仮想と現実の区別はついている!」

「別にアダルトゲームが悪いというわけではありません。ただ…全員恋愛面では恵まれていなかった。正直なところ見た目でそれがわかるほどに。つまり、普段殆ど恋愛に縁のない人間だった。」

「ある年齢を超えた場合、独り身の人間に向けられる周囲からのプレッシャーというのは精神的にかなり厳しいものです。そこで心を病んでしまう人もいます。ただ、今風の恋愛の輪の中に入っていない人、そういった人で全く色恋から外れて周囲に異性も居ない人はそれほどショックは大きくないんですよ。でもアダルトゲーム愛好者は常時その恋愛という物にどっぷりと浸かってしまっている。それでも、ゲームゲーム区別はついていると全員言っていましたし、実際に調べてみても現実と虚構が混ざっているような人は居なかった。でもね、たとえ虚構だとしても恋愛プラス部分だけ、付き合ったあとの事嫌な事も描かれない物語恋愛の特に甘ったるい所だけを煮詰めたようなものです。幸せ恋愛をして最後に性的な交渉を持つ。こういった物語をたとえ虚構だとわかっていてもずっと見続けることで精神的に影響があるのではないか、と私は見ています。

独り身で毎日がクリスマスのような街の結婚相談所就職したような状態を想像してみてください。耐えられそうですか?自分が得られなかった物、自己の肯定、そういった物が揃っている現実を次々と見せ付けられる。物語だとわかっている事が全ての抑止になるわけではありません。物語というのはわかっていても、どうしても現在の自分の境遇と無意識のうちに比べてしまう。こんな恋愛があり従順で可愛げのある女の子が自分の周りいるのか?その欠片すら現実女性は持っていないのではないのか?現実と虚構の満たされなさは膨らんでいきます。

常時こういったゲームを主にやり続けて行くという事は傷口に塩をすり込む様な事を何年も続けていく事になるのだと思います。気が触れるというのはある日ある出来事が原因で突然起こる事はまずありません。大抵は心を蝕む原因があってそれが長い年月をかけてゆっくりと心を捻じ曲げていくのです。貴方女性に対する嫌悪と怒りの根源はなんなのか考えたことはありますか?現実と虚構の区別がつかないのではなく、これは精神疾患の一種ではないか、と私は見ています。」

「・・・そんな事はない。現実恋愛には興味はない。そういった世界とは隔絶している。あくまでゲームは・・・趣味だ。」

「そうですね。それでもはこう考えられませんか?貴方ゲーム登場人物に対して特別な思いを抱いているはずです。貴方は今までプレイしたアダルトゲームの数を覚えていますか?そのゲーム、買い集めたその登場人物のグッズそういった物があるわけですよね。でも、貴方がこれから先女性に傷でも負わせるような事件を起こしてしまったとする。するとその…『彼女』達はどうなるんでしょうね。物語の人物ですよ。貴方以外に誰がその存在を認められるんですか?普通の人々には単なる紙やデジタルデータでしかない物から価値を見出して保存してくれるといいですけどね。」

「・・・・」

「でも、現実はそうじゃないはずです。それは現実と虚構の区別がついている貴方にならわかるはずでしょう。これからの自分のために、過去の思い出も守るために。貴方には治療が必要なんですよ。中毒を治さないといけないんです。ゆっくりとプレイする回数を減らしていきましょう。まだ貴方はやり直しがききます。」

「わかりました。よろしく・・・お願いします」

素人童貞エロゲのやりすぎは危険だ

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