はてなキーワード: カントリーとは
「演説」という言葉は、福沢諭吉による訳語だという。「演説とは英語にて『スピイチ』と言い、大勢の人を会して説を述べ、席上にて我思うところを人に伝うるの法なり」(『学問のすゝめ』岩波文庫)。
「演説」は出身藩だった旧中津藩で使われていた「演舌書」なる書面に由来するという。「舌」という語句が俗なために「説」に換えた。福沢本人がそう述べたと慶応義塾のホームページにはある。
昨日の国会での施政方針演説で、安倍首相は、福沢の「出来難(いできがた)き事を好んで之を勤むるの心」という言葉を引用した。困難なことにひるまず、前向きに取り組む心こそが、明治維新から近代日本をつくっていったのではないかと述べた。
支持率が下がる中で、明治という時代の勢いにことよせて心意気を示そうとの思いは理解できる。しかし、演説にカタカナが目につく首相が「カントリー・アイデンティティー」をまた持ち出したのは、やや理解しにくい。
首相は「カントリー……」は「我が国の理念、目指すべき方向、日本らしさ」だという。昨年の所信表明演説での言い方の繰り返しだが、その中身とカタカナで呼ぶ必然性が、よく見えない。
福沢は、演説や講義での、やさしい行き届いた説明の大切さも説いている。例えば「円き水晶の玉」を、「円きとは角の取れて団子のような」「水晶とは山から掘り出す硝子(ガラス)のような物」と解き聞かせれば、相手が子供であっても腹の底からよく分かるはずだという。首相の「我思うところを人に伝うるの法」は、これからのようだ。
魔女狩りするなと言うあなたにanond:20070120162639は「不二家は魔女だ」と言っているにすぎない。
ってか、カントリーマァムくいてえ
文章が読めていない。俺が問題にしているのは「不二家は悪魔の企業」という理由で複雑な問題を単純な器に矮小化し、魔女狩りをしているマスメディアの姿勢の話で、これは不二家の食品業界としてのモラルの問題とは関係しているようで関係ない。後者については俺は語る材料を持っていないし、興味すらない。カントリーマァム死ぬほど食ってもおなか壊したことないし、カントリーマァムがなくなったのならチョコパイを食べるからな。
不二家を批判したいのなら、その「悪い噂」というのは消費者にとってクリティカルな問題なのか、その問題を解消するにはどうすればよいのか、その問題を解消することでどのようなメリット・デメリットが生まれるのか議論が必要。何なら君が議論をすべき。あと不二家と書こうとすると「富士通」となってしまう、そんな俺はシステム屋。