なんか口調や雰囲気から察するに、「もうとっくに結論のでたことを今更蒸し返して」ということなんだろうか?
であれば今更話題にするまでもないという根拠となる結論があっていいはずなのだが、そうした論拠や傍証はまったく見当たらない。
そうすると次に検討すべきは、答えの出ない永遠の神学論争なんだから「今更」蒸し返しても意味がないということなんだろうか?
この場合は議論自体が無駄であり、貧困者はいつまでたっても貧困で解決策はないから放っておけば良いということになるが、
おそらく左派系思想の強いはてなでこれが主流になるとは考えづらい。
であれば次は解決したい問題ではあるけれど解決の役に立たない議論しか生まれないのに「今更」この話題を蒸し返すのか、というところか。
頑張っても成果が出ないからうんざりだ、という気持ちから何周目という言葉が出てくるのか。
しかし何周目・周回遅れという言葉を使いたくなるような感情を分析すると、そこにはどうしても上から目線の蔑視を感じずにはいられない。
「お前は馬鹿だからおんなじところをぐるぐる回ることになるのだ」と言いたげだ。
答えがそもそもなくてうんざりしているのなら、侮蔑よりもニヒリズムの感情が強くなるはず。
答えが見つかるはずだが今は見つからないということであるなら、むしろ何周も何周も議論を繰り返す必要がある。
とするとやはり答えは見つかっていることが前提にならないと周回遅れという概念は発生しないだろう。
そうすると
「お前の答えは何度も繰り返された間違いなので、何周もぐるぐる回るだけのお前は馬鹿なのでバカにする、ちなみに正しい答えには言及しない」
という意識状態でないとなかなか何周目、周回遅れという概念に至らないのではないか。
間違っていることだけは指摘したいが、何が正しいかはおそらくわかっていないのだろう。
というか、何が正しいかがわからないのなら上述の通り何周も議論を繰り返すしか無いのだが、
何周も回るのは馬鹿だと思っているようなので、答えを探す気がそもそもないのだろう。
答えを知っているのなら答えを示せば済むのにそれをしないのだから、そうとしか考えられない。
答えの出ない議論の中で、正しい答えを探さずに、間違った答えをひたすら否定して見下したい、
という心理が「何周目だこの話題」という発言の大本ではないかと分析する。
以上。