例えば友達ゼロ、恋人なし、交際経験すらなし、家族も死んでるか仲悪いかで特になし 絶賛社会的孤立中のおじさん(別におばさんでもいいけどとりあえず便宜上男にしとく)がいたとして、
で、その人は身長が150cmでデブでハゲてるから基本的に努力とか関係なくお見合いやマッチングアプリとかで共助関係の異性のパートナーを見つけるというのはほぼ不可能で、
かといって話が面白いわけでもないコミュ障だからその年齢から同性の友達を作る方法も知らない感じ。
一応定職にはついてるもののなんとなく職場では浮いてて直接なんか言われるわけじゃないけどうっすらキモがられてて飲みとかもほとんど誘われず雑談する相手すら全くいなくて日々孤独に苛まれていたとする。
経済弱者っていうか人的資本弱者(っていうの?)って感じの人。
原則個人間の人間関係は同性異性関係なく基本的には自由意志が優先されて、企業の採用活動とかと違って黒人とは絶対に友達にならないとかアジア人とは恋人にならないとかそういうポリシーで生きててもそれは現代では公言さえしなければ糾弾のしようがないよね。
彼はチビでハゲだから異性には相手されず、話がつまんないから同性にすら相手にされず、本人にはどうしようもない生まれながらの属性によって彼はすべての人間に選ばれなかったわけだ。
かといって醜い彼と恋人にならなかった女性も、キモくてつまらないおじさんと友達にならなかった同僚達も、これは現代だと差別とは呼ばないでしょう。
でもこのおじさんは多分社会的には弱者でしょ?
それも可哀想ランキングつけたら多分結構上位に食い込むタイプの弱者でしょ。天国に近い無敵の人。
この手の人間が助けてくれ苦しいと嘆いたらお前は弱者じゃない弱者など存在しないとか足るを知れ早く諦めろとか挙句の果てに加害者扱いされてキレられたりするのが不思議でたまらん。
苦しみの要因が本人にはどうしようもないことでも、その苦しみが膨大なものでも、その要因が現代で差別と呼ぶかどうかってそんなに大事なのかね?
選ばれない孤独の苦しみの要因は自由意志が優先されるので、それは現代では区別であっても差別とは呼べない、でも彼らは確実に弱者だよね、じゃダメなの?
「なんとかなりそう」なのがあるんじゃねえの。 トークとか、見た目って本でも買って勉強すりゃある程度は身につくし。 みんな天然で持ってたわけじゃなくて、それなりに努力してる...
それ公正世界仮説だよね。 女の性被害には公正世界仮説を適用するなーってみんな言うのに、男の非モテになると平気で公正世界仮説を適用する。 一貫性がないね。
性被害に比べたらモテないとかクソどうでもいいからな
そうか? 女でもトークできないならトーク磨けや化粧しろやって思うが
お前のやってることは病気になった人に食生活を責めるのと一緒だよね。