過程が評価されてて、結果が正しくとも過程が間違ってると全体として間違いという流れがあって、平成の次世代はそういう常識を持った子供たちが量産されそうで怖い感じはある 私生...
「結果が正しくとも過程が間違ってると全体として間違い」はかなり欧米的かなと思った それなら数式もどきじゃなくて言語で書かせろよと思ったけど
会社でも団体でも上司の決めたやり方に従う将来の人が多数派じゃん 結果が同じだから自分のやり方が正しいなど通らない
上司っていうか、ビジネスな。科学的検証で決められたプロセスの妥当性は実行者が判断する必要が無い、つまり規則は絶対っていう考え方はあっちでは一般的。
システムは学者が発見した法則のほう ルールは土着の権力者それぞれがその都度決める理不尽 それになれる鍛錬
それを理不尽と言っちゃうところが中世なんだよ ルールは理でなければならない
anond:20190318172731 そんな神様は受け入れない その教室の先生が理だ そして生徒はその理不尽に従う 疑問や質問を持つことを禁止して自分の理に従わせることこそ等身大の人間の人生の夢...
その教室の先生が理だ はい中世ジャップランドの人治主義者
つーかそもそも算数の問題って「式」と「答え」を書かせるし 「式」が間違ってりゃ「式」の分の配点は貰えないのは当たり前だろ
「説明」と「式」と「答え」に分割すればいいんじゃね? 「人Pが5人おりりんごRが3個あるときP * Rはりんごの個数Srを与える: P * R = Sr 式1.1より15個」って書かせればいい
ゆとりってそんな自由だっけ 無意味に個性個性言われたかもしれないけど凡人は無力感がつのるだけな気もする
「過程が評価される」現代のもう一個前は、ゆとりじゃないだろう。 「とにかく正解を出せるようになれ」の詰め込み教育こそが対置されるもの。 ゆとりっていうのは詰め込みの反...
結果が正しくとも過程が間違ってると全体として間違い まさに民主主義そのものでいいじゃん。