2011-01-05

批判を受け入れられる総量ってどれくらいのものなんだろう。集中した批判が可虐的な意味合いを持ち始める基準はあるんだろうか。

数の暴力って、どこからどこまで認められるべきなんだろう。それとも根本的にしてはいけないことなのかな。暴力ってどこから暴力になるんだろう。

相手次第、自分次第。つまりは個人の総裁に寄るものなんだろうけれど、そればかりを主張してはいられないわけで。

意見を述べるということは、結果的に攻撃的な側面を持っていて、だから気をつけなくちゃならないとよくよく考える。

まあ攻撃的だとマイナス面ばかりが出てるような気がするから、影響力を持っていると訂正するけど。

かに影響を与えることって、すごく怖いことだと思う。

だって自分の言動によってその人が変化してしまうわけでしょう。自分の生の言動で、生の精神性によって誰かが変化するのって滅相もないことだと思う。

それだけの価値がないのだし。こんな卑屈なことを思っている以上影響も然したるものではないと信じたいけれど、やっぱり怖い。

その点、呟きは安全だ。ついったーってことじゃなくて、普通の、誰に宛てたわけでもない呟きであるのなら気持ちに余裕が持てる。

伝えようと意図して伝わった言葉で影響が出てしまうことが空恐ろしいんだ。それには覚悟がいるから。誰かを詰ったり、叱責することは、だから絶対にやりたくない。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん