中村さんには子供がいます。あるとき、子供部屋で漫画本を見つけました。大
人が「眉をひそめたくなる」ような、いわゆる児童ポルノでした。
中村さんは子供を叱ります。「子供がこんな漫画を読んじゃいかん」、そう言っ
て漫画を取り上げました。
ここまでは問題ありませんよね。これは中村さんの教育方針です。たとえ私た
ちがその方針に賛成できなくても、中村さんちのことにまで干渉できる理由は
ありません。よその家はよその家です。
ところがそれで終わりではありませんでした。中村さんは隣の家の子供も、そ
のような漫画を読んでいることを知ってしまったからです。例えば学校帰りに
同じ漫画を持っているところを見た、としましょう。
中村さんは、自分の子供と同じように、隣の家の子供も叱り、取り上げました。
もし隣の家の親が、中村さんのしたことに不満を持ったとしたら、中村さんは
取り上げた漫画を返さざるをえないでしょう。私たちが中村さんの家庭事情に
ついて口出しできないように、中村さんも隣の家にまで干渉できません。
しかし隣の家では中村さんに共感します。「よく叱ってくれた。我が家でも注
意する」。ここに中村アライアンスが成立しました。
そして、事態は広がりをみせます。その他の近所の子供にも、その漫画は流行っ
ているようだったのです。中村さんは近所の人達に声をかけ、町内会で話し合
いました。
「犯罪でもあるまいし、漫画くらいは子供たちの好きにさせてもいいのでは」、
といった意見の親も中にはいましたが、子供たちは交流し、本の貸し借りもす
るので、自分の家だけの問題ではありません。町内会では、親たちが子供たち
が児童ポルノを読まないように気を配ろう、ということに決まりました。もち
ろん民主的な話し合いによってです。
ここまでも、問題ないと思います。私たちには彼らの決定にいちゃもんをつけ
る権利はありません。でも話はこれからです。
町内会は、保護者の意見を取りまとめ、学校にも協力を要請します。学校は快
くこれに応じ、子供を「不健全図書」から守るよう指導を徹底する、と約束し
て実行されました。保護者たちからの一致した意見であれば、もとより学校と
して反対も難しいことでしょう。
さらに、この運動は隣町にも波及します。隣町の町内会でも同様の話し合いが
もたれ、連絡を取り合ったのちに、町の書店との協議に至りました。
書店主も町内会議に参加した結果、書店は協力を受諾しました。もちろんこの
会議の議事録にもそのことは記されました。
こうして付近の町内会では次々にこのような議決がなされ、児童ポルノ販売に
ついての取り決めができあがっていきます。そしてついに富士見市の議会でも
児童ポルノに関するルールが採択されました。そう、もちろん民主的な手続き
に則って。
さて、勘のいい人ならとうにお分かりでしょう。
たとえ富士見市内に少なからず漫画家が住んでいても、出版社や取次や印刷所
があっても、問題は変わりません。
東京都の場合、行政からのトリガーではあったかもしれませんが、やはり同じ
ことではありませんか。間接民主制のもとでは、民意とはつまり議会の決定で
あり、都議会も条例を可決しています。
自治においては、たとえば「水や醤油を借りるためなら、隣家に無断で侵入し
てもよい」などといったローカルルールすらも可能なのです。都条例は主権国
家の法ではなく、憲法上の問題にはなりません。
俺は勘が悪いのでわからないんだ。 もっと詳しく書いてくれ。