2010-12-16

断捨離の気持ち悪さ 一つの在り方について

NHK断捨離特集を見た

一言で言えば気持ち悪い、と同時にまあそれも部分的には必要だなとも思った

1人目は部屋を魔界と呼び その部屋のものを捨て去ることで心がすっきりしましたとか どんな宗教だよ

2人目は親の遺品を捨てていくが最後に親の遺品のすずり箱に最終的に残すことにした遺品だけをいれてこれからしい人生を始めますってとこで終わる

 だから選択でしょ と言いたいのだろうが

そこに他者のないナルシシズムエゴが見えてこの上なく気持ち悪い

親が自分を命名した時の紙は結局捨てたのかどうか分からない

蒼天の拳ならひデブされている所だ

 

結局のところ今までの整頓術に邪術的ライフハック精神的なインセンティブを与えたものに見える

自分探しするようなB級市民には神罰覿麺なんだろうけどこんなものを持ち出す時点で他者に対する悪意が見える

赤松健のいう感情を持って人を動かすって奴だろうけど 邪術世界そのものだ

 

その方法もありふれたもので

規範などにより負い目または承認を与え(片付けられないのはだらしない、情けない)

それを元に闘争の形にする

闘う者は自分の問題と向きあっている戦士であり

負けたならそいつが弱いのがいけない

何もしないもの自分の弱さと向き合えず逃げたとする

こうすればどちらにせよ やっていることの正当性は保たれる

その枠組自体が正しいかは問われない 内部に対しては無敵の論法だ

こんなのが流行っている事自体頭の弱い人が溢れているってこと、そしてそんな奴らを騙して使うのがオ・ト・ナとか思っているろくでなしが正しい社会人とされている証拠だ

オレオレ詐欺万歳戦争万歳です

 

 

これ自体がありだと思ったのは、捨てる必要性自体は存在するから

物は捨てなきゃ溜まり続けるし、物をいくら残しても自分はいなくなる。自分存在した影響もなくなる 

何処かでそれは受け入れなきゃいけない

 

親が旅行して集めた写真アルバム(遺品)が捨てられていたが

これは自分子どもを信用していたとも言えるが

親自身半ばどうでもいいと思ってもいたのではないだろうか

もしくは死後まで自分の跡がどうなるかを考えるのは辛かったためかもしれない

結局のところ自分存在したはなくなる

これは取捨選択したところで最終的には変わらんのだけど

自分は捨てられる側にポジションを置いているため

自分を否定しているように見えるのだろう

ただ気持ち悪さと感じる理由については違うと思う

 

 

つの価値が分離してまるでまとまらないが

結論としては、命は投げ捨てるもの

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん