一言で言えば気持ち悪い、と同時にまあそれも部分的には必要だなとも思った
1人目は部屋を魔界と呼び その部屋のものを捨て去ることで心がすっきりしましたとか どんな宗教だよ
2人目は親の遺品を捨てていくが最後に親の遺品のすずり箱に最終的に残すことにした遺品だけをいれてこれから新しい人生を始めますってとこで終わる
そこに他者のないナルシシズムとエゴが見えてこの上なく気持ち悪い
結局のところ今までの整頓術に邪術的ライフハックで精神的なインセンティブを与えたものに見える
自分探しするようなB級市民には神罰覿麺なんだろうけどこんなものを持ち出す時点で他者に対する悪意が見える
赤松健のいう感情を持って人を動かすって奴だろうけど 邪術世界そのものだ
その方法もありふれたもので
規範などにより負い目または承認を与え(片付けられないのはだらしない、情けない)
それを元に闘争の形にする
闘う者は自分の問題と向きあっている戦士であり
負けたならそいつが弱いのがいけない
こうすればどちらにせよ やっていることの正当性は保たれる
その枠組自体が正しいかは問われない 内部に対しては無敵の論法だ
こんなのが流行っている事自体頭の弱い人が溢れているってこと、そしてそんな奴らを騙して使うのがオ・ト・ナとか思っているろくでなしが正しい社会人とされている証拠だ
これ自体がありだと思ったのは、捨てる必要性自体は存在するからだ
物は捨てなきゃ溜まり続けるし、物をいくら残しても自分はいなくなる。自分が存在した影響もなくなる
何処かでそれは受け入れなきゃいけない
親自身半ばどうでもいいと思ってもいたのではないだろうか
もしくは死後まで自分の跡がどうなるかを考えるのは辛かったためかもしれない
これは取捨選択したところで最終的には変わらんのだけど
自分を否定しているように見えるのだろう
ただ気持ち悪さと感じる理由については違うと思う
結論としては、命は投げ捨てるもの