何か嫌な事があれば「あいつはKYだから」と一方的な烙印付けが周りでは蔓延ってた。
そこにあるのは多数派の理論のみ。
授業中、生徒が五月蝿いのを先生が注意をする。
生徒は「あいつKYだよね」で終わり。本当にこれだけで終わり。
反省も反発も何も無く、先生がKYという認識をしただけで終わり。生産性のかけらも無い。
騒ぐ時でも場所でもない、明らかに「空気を読めていない」側の空気を正そうとして得られたのは、
「空気を読めていない」側が嫌な思いをしたら、嫌な事をしてきた相手をKYと認識するだけ、という事実のみ。
自分は、KYが流行っていた時に生徒側だったけど、あの時の空気はただただ虚しかった。
一日一日がただ過ぎていくだけだった。