2010-09-28

今だから書けるけど、KY流行ってた時って怖かったよね

何か嫌な事があれば「あいつはKYだから」と一方的な烙印付けが周りでは蔓延ってた。

そこにあるのは多数派の理論のみ。

授業中、生徒が五月蝿いのを先生が注意をする。

生徒は「あいつKYだよね」で終わり。本当にこれだけで終わり。

反省も反発も何も無く、先生KYという認識をしただけで終わり。生産性のかけらも無い。

騒ぐ時でも場所でもない、明らかに「空気を読めていない」側の空気を正そうとして得られたのは、

空気を読めていない」側が嫌な思いをしたら、嫌な事をしてきた相手をKY認識するだけ、という事実のみ。

自分は、KY流行っていた時に生徒側だったけど、あの時の空気はただただ虚しかった。

一日一日がただ過ぎていくだけだった。

学校に行くことで、生きていく為の武器は手に入らなかった。楽しみの延長の世界

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