2010-08-21

母を失って1年半。

私は1年半前、病で母を失った。

当時の私は、「ホスピス病棟入院する」ことはどういうことを意味しているか知らなかった。私は学生春休みだった(とは言っても就職活動はまっただ中だったのだが)こともあり、母の病室には毎日のように通っていた。その日は大雨。いつものように車を運転し病室に行き、母に話しかけながらコンピュータをたたき、就職活動の書類を書いていた。

その日、母の様態が急変した。突然咳き込みだし、私は看護師に声を掛けた。この症状は危篤です、と告げられた。私が車で駅まで迎えに行き、徐々に親戚一同が集められる。

母はいつだって「苦しい」「しんどい」「つらい」、弱音を吐かなかった。その母に

大丈夫? 苦しい?」

と声を掛けるとうなずき、初めて苦しいという意思表示をした。それを見た看護師は、

「少し眠らせましょう」

と言い、麻酔のような(当時よくわからなかった)点滴で一時的に眠らせる措置を執った。しばらくして母が目を覚まし、少しは目を開けていられるものの、すぐにまた咳き込み始めた。これを何度か繰り返していると、徐々に咳き込むまでの間隔も短くなってゆき、次に眠らせたときに、

「次に目覚めたときに、お別れをしてください」

と私たちに告げる。

次に母が目を開けたとき、私たちは嗚咽にふるえる声で最期に感謝言葉を伝えた。親戚一同が自分の目の前に立ち、泣きながら自分感謝言葉を告げる、その光景を見るのは一体どんな気持ちなのだろうか。母は、その後に大量の点滴を投与された。翌朝、その眠りに落ちたまま、母は息を引き取った。

「眠らせて息を引き取るのを待つなんて、そんなん殺してるんと一緒やん!」

と当時は思っていたのだが、のちに「ホスピス」とは、「治療する」ことではなく、「苦しみを少しでも緩和する」ことを目的とした施設だと知った。患者の立場から考えると、苦しい思いをしてまで無理に生きながらえるよりも良い選択なのかもしれないと思えるようになった。

今でも母の夢を見る。母の夢を見るときは、決まって母は闘病生活をしている。その姿だけが夢に出てきて、母を失ったという事実は夢に出てこない。これは母の死後1年半、ただの一度も例外はない。

今では母の死から立ち直り、社会人1年生として立派に(?)働いている。人間には、きっと他のどの生き物よりも豊富感情がある(生物学は詳しくないのでよく分からないが)。楽しいと思えることが終わることもある代わりに、どんな苦しみ、つらさからでも必ず立ち直ることができる。つらいときは泣いたっていいと思う。流した涙の分だけ、その先には幸せが待っているはずだから。

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