2010-08-11

「好き」から「嫌い」へと変わる時

「好きになる」のは、ふとした切欠で好きになって、そしてのめり込み…色んな事を学んでいく。

ところが、これまたふとした切欠で嫌になり段々嫌悪感が増していって嫌いになって…場合によっては憎らしくなってゆく。

 

例えば、好きになった異性が居てその人に惚れたものの、嫌な部分が見えてきて段々嫌いになってゆく。

余程好意を抱くような事が無い限り、結局は嫌いになってしまい、顔を合わせるのが嫌になったり、名前を聞くのも嫌になったり…。

好きになるのも、嫌いになるのも、人それぞれ「切欠」によって思考が変わってゆく。

 

で、その切欠が「今迄見えなかった、気付かなかったものが、ある日を境に見てしまった、気づいてしまった」。

そして、感情が揺れ動くんだろうね。なんか上手く表現できなくて(変な日本語になってしまって)歯痒いんだけど。

 

なんかさ、その(悪い意味での)キッカケって奴が、実は「自ら作り出したもの」だったら自業自得だと思う。

例えば、友達が出来て毎日一緒に居るようになり…ある日を境にその友人がウザくなった時。

その「ウザイ」原因を作ったのが友人のほうだったら、そりゃ嫌いになって当然なんだろうなぁと思う。

 

「日々友人に愚痴をぶち撒ける」→「友人が嫌な顔をする」→「そんな友人が嫌になる」

こういうケースの場合、「愚痴を吐く」という切欠を元に、互いの関係が冷めていくのは当然の流れなんだけど

その「愚痴を吐いた」ほうの人間嫌悪感を抱き始めてから、何故か被害者妄想を始めちゃって、

「こんなに嫌な思いをするのは友人のせいだ!」「私が悪いんじゃない!悪いのは私を受け入れてくれない友人なんだ!」…なんて

己自身が原因なのに勝手責任転嫁始めちゃって、更に違う友人知人に「アイツは嫌な奴だから付き合わないほうがいいよ!」って言いふらして

都合の悪いものはぜーんぶ「人のせいにする」奴って何なんだろ。

 

これが中学生高校生レベルだったら仕方無いのかなって割り切れるんだけど、いい歳したオトナが人に八つ当たりするのって救いようが無いのかな。

救いようが無いと分かっているから、周りの人達は冷めた目で見ているのだろうか。

本当は好意を抱かれていないのに、”一応付き合ってあげている”人達もみんな友達扱い出来る人ってある意味幸せなんだろうね。

孤独で居るのが嫌なのは、誰にも信頼されていない、愛されていない事を包み隠す精一杯の言い訳なのか?

とりあえず友達って一方的にカウントすれば、パッと見は友達に見えるけど………でもそれって友達じゃないような気がする。

友達=都合のいい奴隷じゃないんだから。なんでもかんでも友達扱いして、ちゃんと相手の気持ちも真剣に考えてあげているのかな、あの人は。

 

相手に感謝の気持ちを伝えられず、自ら間違っている事を素直に謝れない人は、誰にも信頼されず、愛される事は無いよ。一生。

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