「可愛い」とか「幸せ」とか「のんびり」とか「まったり」とか「お菓子作り」とか、そんな文言は沢山あった。でも「ママブログにはこういうことを書くとみんな納得する」というテンプレに沿って書いたという以上の何物でもなかった。どんな子供なのか、何が好きで何が嫌いなのか、どんなことをできるようになったのか、喜怒哀楽をどんなふうに表現するのか、関心も観察も発見もそこには見当たらなかった。時候の挨拶のような「可愛い」「幸せ」「のんびり」以外の、実際の子供の様子については、たいてい「寝ている」か「邪魔した」だけ、いちばん詳しい記述は、預かった友人の赤子と二人で隣の部屋で「のーんびりのびのび」実質放置しながらブログ更新しているという状況で書かれたもの。でもやっぱり子供の顔は見えない、声も聞こえない。
この人に乳幼児2人の世話の全責任を任せるべきではなかった。親や先生に「夏休みにこのカブトムシの世話を一人でやれるか?」と尋ねられた小学生は、たいてい「一人でやる!」と胸を張り目をキラキラさせて誓う。そう言わないと体裁が悪いから。そう言えば「えらいねー、すごいねー」とほめてもらえるから。そして小学生は7月の最後の1週間は、カブトムシを心こめて世話し、観察日記にカブトムシへの愛を綴る。そしてまた「えらいねー、よくやってるねー」とほめられる。でも、大人が気をつけて監督を続けない限り、小学生はいつしかカブトムシの世話を忘れて一週間も十日も遊びほうけ、夏の終わりにはカブトムシは乾ききった水槽の中で腹を上に向け六つ足を縮めて動かなくなっていて、かたわらでは一月前のスイカの皮がカビに覆われている。
だよねー 「もとはいいお母さんだったけど突然変に」「ブログが証拠」ってのは変だと思う お母さんになったときから変だったんじゃないのかね それ以前にかわいそうな事があったか...