2010-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20100729093002

言葉遊びに乗っかろう。

「核」とは内部にあるもので、それがなくなると経営が直ちに行き詰るもの。

その「メンバー」は自分ひとり。一緒に働く人間経営側の人間だと勘違いさせる必要があるケースもあるけど、本質的意味での共同経営は無謀だわ。

状況はどんどん具体的になってきているし、適応範囲も限られてきているから、別段構わないといえば構わないんだけれども。

自分ひとりの才覚を頼りに、取替えの効く凡庸な人間だけで賄える作業しか発生させず、ありふれた商材を使い、確実な商売をすればよいのですよね。

どちらがなにを絵に描いているのかは判りませんが。

私はずっと、メリットデメリットの天秤だと言ってるんですがねぇ。


商売の生き死にを他人に握られることでコントロールを失うことと、自分自身に負担がかかることで生じるリスクとはまるでレベルが違う。

結局、自分自身が事業にとって過大なリスクになっているなら、やっぱりその人にはセンスがないと思うけれど。

自分が倒れて事業が失敗するような場合、確かにその失敗の責任自分だし、病気事故リスクコントロールできるけれどもね。

自分病気になどならないし、事故にもあわないと考えているなら、それだってあなたの定義では立派に博打の類。


さてこのとき、自分病院から判断を行うだけで事業が回るとしたら、下で動いている手足というのは、すぐに補充が利くものではないような気もするけれど。

理想の状態と定義されているものと、それを実現するためのパーツが、矛盾を起しているように思う。

  • 自分ひとりの才覚を頼りに、取替えの効く凡庸な人間だけで賄える作業しか発生させず、ありふれた商材を使い、確実な商売をすればよいのですよね。 才覚を頼りにするのは、あまり...

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