2010-07-28

人は過去最適化の上に生きているのではない

最初に、自分言葉かはわかりません。

まず先に結論を述べます

過去最適化をしたからって未来最適化されるわけではない」

「つまり過去を変えても意味がない」

僕らはよく「あのときああしていればよか」って思うのだけれど

じゃあ「過去を変えることはできるのか?」と考えたとき、まあ最初過去に行くにはどうするのっていう技術的な話になると思う。ワームホールを使うとかドラえもんに頼むとか。

で、まあそこの議論はめんどくさいからやらない.だからとりあえず今は過去を変えることは出来るとなったと仮定します。

また、過去を変えたことで自分の今の未来へも影響を与えることができるとして(過去を変えた時点で宇宙がもうひとつ生まれてしまうので現在宇宙に影響を与えるわけではない、とかいう人がいるわけですから)。

「よっしゃ!いっちょ過去いって今まで起こったすべてのいやなことをなかったことにしてくるわ!

このようにしてタイムマシンに乗った僕は過去最適化を行うわけです.

テストで満点を取って,憧れのあの子と付き合って,ほしかったゲームを買って,誰からも怒られず,みんなからは賞賛を送られ…

最高の人生をやり直せてるわけですが,いつかはまたタイムマシンに乗り込んだ時点,つまり今に帰ってきます.

そこからが問題です.僕は今の時点においてこれからなにが起こるか何もわかりません.それまで最高の人生を送ってこれたのはこれから起こることを知っていて修正することが出来たからです.

僕は未来自分に押し寄せてきたときに結局またいつもどおりに”あてずっぽ”で進むべき方向の選択をすることになります.もちろん一番いいことが起こるであろう方向を選ぼうとすることはできます.でも解空間が単峰性とは限りません!!結局はローカルミニマムに陥ることになるんです(ここらへん最適化専門用語です,すいません).

だからベストの状態への最短ルート過去から取得できない以上過去最適化にはなんの意味もないことになります.

過去最適化したからといって未来最適化できるわけではない」

そしてここで付け足しです.数学的帰納法の考えを導入します.上の命題が成立つと仮定すると両辺に「+未来」して(?

未来最適化したからといってさらに先の未来最適化できるわけではない」

つまり

過去最適化から最適化された未来を得ることは金輪際ない!」



じゃあどおすればいいんだって思うわけですが,そもそも人間にはきっと後悔しない人生なんて送る権利がはじめからないんだと思うわけです.

失敗したという情報から離れるように進むことしか出来ない.つまり失敗しなければ今よりよい場所へ向かうことはできない.

できるだけ良い思われる今を過ごすこと.人間に出来るのはそれくらいなのだと思います.





なんで自分がこんなことを考えているのかというと、昨日TEDで見た物理学者のせいです.

http://www.ted.com/talks/lang/jpn/clifford_stoll_on_everything.html

僕が一番この人を魅力的だろ感じた一言

亡くなった母がとっておいてくれた自分写真を見て

「ワオ! タイムマシンだ! なんてことだろう,昔に引き戻されました」

このひとは写真を見てそれをタイムマシンといった(比喩表現を用いたとは思えない本気の口調で,まるで今本当にタイムマシン発明したかのように).

このインスピレーション自分にとってとても印象的でした.感動的ですらありました.

なんてこった思ったのはこっちなんです.そんな発想今までしたことなかった.

もし過去へいって人生をやり直すことのできるタイムマシンが見つかったとしても,僕はそんなものは絶対に使いません.

下手したら過去に戻ってやりなおしたい瞬間が過ぎた後未来に戻るのにまた全ての自分人生をやり直さなければならないからです.

そんなタイムマシンは絶対嫌です.

でもこのへんてこな頭の物理学者発明したタイムマシンなら僕はいつでも乗っていいと思う.

過去はやり直すものではなく,懐かしむものなんです.

  • じゃあどおすればいいんだって思うわけですが,そもそも人間にはきっと後悔しない人生なんて送る権利がはじめからないんだと思うわけです. 失敗したという情報から離れるよう...

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