2010-07-19

ありがとう。

優しくて強い看護師さんたちのおかげで

父の人生の最後のいくばくかの時間が、

すこしだけでも、やすらかであっただろうと思うので。

最後を看取る家族は誰であるべきなのか、

おそらく、父は自分でそれを選んだのだ。

選ばれたのは娘である私。

それが父の人生でほぼ唯一選んだわがままで、

私は、母や兄の重圧に押しつぶされるように、

今思うと、結果それが最の夜だったその日に、病院に泊まった。

刻一刻と状態が悪くなる父を見て、

それでも今日と同じ一日がずっと続くと思っていた私に、

「少しでも寝ないとこれから大変ですよ」「状態が変わったらすぐに起こしますから寝てください」

と声をかけてくれた看護師さん。

今思えば、彼女は父がもう永くはないことを知っていたのだろう

比較的容易に類推できたことではあるようだし)。

気を詰めていても眠気は必ず訪れてしまうのが健康であるものの宿命で、

父の息が、その晩のほとんどが、苦しさのみでヒュー、ヒュー、と鳴るなか、

私は会社から持ち帰った仕事をしながらでも、ちょいちょいうたた寝をしてた。

看護師さんに起こされたのは朝の6時前。

「そろそろご家族を呼んだ方がいい」と言われた。

家から病院までは車で15分ぐらい、と尋ねられるままに答えたのは私で、

要するに父の容態は、持ってあと30分程度だということだ。

寝起きとはいえ、神経が張り詰めていた私には理解できた簡単なことで、

跳ね起きて、慌てて自宅に待機していた兄に電話した。

看病疲れするほどではない、決して長くはなかった父の最期の入院生活で、

3週間程度の短さでさえ、くたびれ果てていた時に、

父の人生で一番辛かった時期を支えてくれていたのは、

あの病院で父を看ていてくれた看護師さんたちだった。

私も泊まってた当日。

でも、寝ちゃだめだと思ってても睡魔に襲われたのは、

どんどん呼吸が苦しくなって辛そうになって、意思の疎通も怪しくなってくる

父を目の当たりにしているのが、辛くて仕方なかったからだ。

最期の時。私はそこにいた。母も兄も間に合った。

家族全員が間に合って看取れたことも、多分本人も解っていると思う。

それは恵まれた部類の最期だと、まぁ客観的に看ればそう。0

でも、最期の最期で、父の体の苦しみを和らげる助けをしてくれたのは看護師さんだ。

家族は、心の支えにはなれても、体の苦痛を和らげることはできない。

そして、死ぬ間際の体の苦痛の絶対性は、

少しだけでも垣間見た私の人生が変わるぐらい絶対的な苦痛で。

だからこそ、看護師さんの優れた技術と知識と、

そして命に対する平等な思いやりに、

心から感謝するのです。

ありがとう。本当にありがとう。

父もきっと、ありがたいと思っていると思います。

本当にありがとう。

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