勿論愛情も資源といえばそうだけど、お金や時間やらよりは有限の程度が低い=融通が利くものと思っている。
で、或る程度融通が利くものなので、トレードオフ的な関係はあるにせよそれは”たいしたトレードオフ”にはならないよね。って話。
なんていうのかな、人生は選択の連続である以上、人生はトレードオフだよね。っていうのと
親と子供はトレードオフだよね。っていうのが、自分にはさしたる違いが感じられない。
つまり、
AとBを選ばなければいけないときに、具体的にある点でトレードオフが発生して、どちらかを選んだ場合を比較すると金銭という視点で見た場合、最終的にはB案のほうが・・・的な時にトレーとオフという言葉を使うのは適切だと思うが、
なんとなーくトレードオフだねっていわれても、そりゃ人生全部がそうだろう・・・・という感じでしかない。
あとは、
あなたのイメージしている親像が、すこしでも資源があったら自分のしたい事を優先する人間であるって聞こえる。
それは極端に思えるよ。自分に使うか子供に使うか常に悩んで、より価値がある方を優先するぐらいが自分の親像。
だから、愛情(会話)みたいな使うことがそこまでの出費として負担にならないものなら、惜しみなく使うだろうって思ってる。
最後に、乳幼児云々のくだりは、話していることがすこし別の話題になっているのでスルー。
おそらくソレについて指摘し始めるとメインの話題と重なって混乱するから。
何つーか、 多分増田の親は「子供優先の生活」を重視する人だったんだろうなと思える。 物質的な事や時間的な事は自分が優先される事が常に当たり前だったから それは「親が我慢し...