2010-06-08

選別

ある大学先生(体育系の担当らしい)がラジオでしゃべってた。

「今の子どもは弱いです」

「ウチの大学にも通信制の高校出身の、弱さを抱えた子どもたちがたくさん来ます」

「うちの自慢は、一人も辞めさせないってことなんです。それが私のコンセプトなんです」

「そのためには嫌だって言われても家まで行きますし、お茶一杯、おにぎり一個の大切さを教えて行きたい」

最後何言ってんのかわかんねえ。

場合によっては心理学先生に廻して」

なんてことも言ってた。それって、話がこじれてからか?

家までおしかけて話こじらせてしまって、それをどうにかできると思ってるのか?

それって親身になるのと話が違うってわかってないのかな。

お前のコンセプトはいいけどさ。

何その適性ガン無視な方針は。

辞めさせないってのは、失敗ややり直しを認めねえってことか。

適性を無視して行う教育って、拷問になりかねないぞ?

どうやったって、届かないところがある。

やってみなきゃわからない、とも言うけどさ。

じゃあその目標に対して、何をどれだけ犠牲にできる?

自分のことならまだしも、それを相手に求められるの?

届くところには限界があるし、限界に近づくことを強要することは、私にはできない。

「すべてを失っても構わない」なんて言葉があるけど、例外がある時点で大嘘だし、言葉にしてる暇があったら動け、って話だ。

分からない、分かる力が無いってのは、見ていて本当に哀しいんだぜ。

たぶんこの哀しさは、元カノに言われたように、

自分の敷いたレールに乗せたいけど乗ってくれない、乗り続けてくれない」

って不満からくるものなんだろう。

否定はできないなー。

放っておけば良いように変わっていくもんだ、ってのはファンタジーにしか思えないなぁ。

大局的には充分納得できる。「世界のことは世界に任せておきな。なんとかなっていくものさ」ってうろ覚えだけど、好きな作家の一節にあった。

けど、個別の話にそれを転用するのはどうなんだろう、って思う。

いやまあ、私が実際にやってること自体は結局のところおせっかい以外の何者でもないしね。

まあいいか。それで救われる人もいるんだろう。

私は私の仕事をしよう。

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