2010-05-18

一次、二次審査落選する人

下読みをしていると、時折変に縁がある応募者がいる。

応募総数は主催によって違うし、担当となる作品はランダムのはず。

なのに複数回下読みを担当することがあり、「この名前は見覚えがある」「こないだも応募してたな」「またお前か」となっていく。

どんなものを応募してきたかはあまり覚えていないのだが、あるときを境に名前を見なくなる。

単に自分に割り振られなくなっただけであるのかもしれないし、諦めたのかもしれない。

応募されてくる数を考えれば、何度も同じ人間が下読みを担当することのほうが特殊なわけで、前者であると考えるのが妥当だと思う。

しかしもし後者であるのなら、落としていたのが自分なのだから、夢や希望を叩き潰したと言えるのだろう。


そういった応募者が特に「酷い」印象で残っていた場合、次にまた当たった時、以前に比べると語彙力が上がっていることに気付いたりする。

しかし殆どの場合、少し洒落言い回し単語を覚えたというだけで、力が伴っていないことが多い。

知ったばかりの格好よく見せるための仕草や知識を早速使っている子供のような印象。

訓練している人間は、文章にそういった違和感がない。

また、(誤解を恐れず言えば)才能のある人間というのは語彙を必要としない。

少ない語彙で読む人間に色や音まで再現させる場面を書く。

しかし、現実として応募作品の半分以上、八割前後は箸にも棒にもかからない。

文章力をつけるのなら語彙を増やせとはよく聞くが、増えれば「書けるようになる」のかというと、そうではない。

今まで下読みで出会った数百(とうに千を超えているかもしれないが)という範囲で判断する限りでは、箸にも棒にもかからない八割が表していると断言できる。

恐らく読んだ本の中から気に入った言い回し単語を拾い上げ、使えそうな場面でドヤ顔で綴っているだけなのだろう。

そんな彼らは、まず問題なのが語彙力ではなく、作文能力だと気付くことが少ないのだと思う。

ストーリー性、エンターテイメント性で判断しろというのはもっともな話なのだが、それが言える段階にすら達していないということに彼らはいつ気付くのだろう。

好きこそものの上手なれ、は素人ないし、アマチュアレベルでのことであって、プロ世界で「上手」は「当然」のこと。

プロはその知識、何よりその技術ゆえにプロたりえている。

あまり面白いと感じない話の文章がうまいこともある。

面白いと感じる話の文章が実はそれほどうまくないこともある。

しかし、どれも最低限のラインは超えた上での話。

一次、二次で落選してしまう人たちは、作文能力を磨いて欲しいと心から思う。

気持ちばかりが先走り、何が面白いのか伝わってこない、伝えられない、自分が気持ちいいだけの文章で応募する彼らに、今は理解できないのだろうけども。

自分の力量や問題点を客観的に見る事ができる人間は、一次審査や二次審査で落ちることなどないはずだ。

  • 馬鹿の一つ覚えみたいに「文章がうまくなりたかったら本を読め」ってタレるのがいる限り無理だよ。 元増田の言うとおり、そういう奴らって本を読んだところで単語や個々の文しか見...

    • 言ってることはすごくよくわかる 「自分もたいした知識や方法論もって無いのに人にアドバイスしたがる奴」 ってなんの世界にもゴチャマンといるからね ただ元増田の言ってるレベ...

      • 才能のある人間ってのは凄いぞ。 話を聞いていても読書量が決定的に少ない。 文学作品なんて、タイトルは知ってるようだが、聞くもの全て読んだ事がないという。 そんな人間に信じ...

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