2010-04-06

無職であるということ

今晩は無職について語りたい。

先週の木曜日から無職生活がはじまったわけだが何が一番身体に悪いかというと社会的身分がなくなることもさることながら“働いていない”という状況だ。

そこにプラスされてくるのが“いい歳をして”というものだ。

嫁が会社にいき1日中自宅や近辺への買い物だけで終わる。

精神的な面からいくと何に異常をきたすかというと世間への焦りというものだ。

ほかのひとは日中働いているにも関わらず俺は部屋にいる、という状態だ。

働く、ということは自宅においても考えられることでネット、簡単にいえばサイト収入を考えればいいのだがそういうことも出来ずにいる。

ガチャガチャと書いたが一言で言うとおいてけぼり感覚だ。

他の人にまじってやっていた人間からすればいくら俺は俺と思っていても他人と一緒に生きている空間時間を共有していることで生きている、働いているという実感を得られるものなのだ。

毎晩のようにバーに飲みにいっていたが今は全然いっていない。

行く気にもならないのは自分が何者でもないからかもしれない。

で、何かやらなくちゃ、と考えてわけのわからない行動をすると無職をこじらせるのは分かっているから何もしない。

そしてそれが精神的によくない、という無限ループに陥る。

漫画を読んでも完全に上の空。

危険な状態だ。来週に転職支援会社での面談がある。

かといって次にどんなことがやりたい、という熱望する職種会社があるわけではない。

こんなときに日本が大変なことになればいいのにな、という不謹慎な発想が頭によぎったりする。

とかく案外やりたいことがないしやることがない状態にしてしまっているのがよくない。

自分が何をしたくてどんな準備をしないといけないのかダラダラとした日々を送っているが少しでも考えよう、リラックスして。

だが無職という状態であっても金があれば発想が拡がることがあるだろう。

すくなくとも種銭が増えているときには頭がクリアになってアイデアがでたりする。

俺は無職だがすくなくとも金のある無職を目指そう。

金のある悲劇のほうが金のない悲劇よりもいいのだ。

今はそう思っている。

徐々に意義のある無職期間にはしよう。

考えようとしてないくせに考えるのはやめよう。

自分に正直であっていいのが無職期間だ。

ボーっとしている時間から生まれれば儲けものだ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん