それならそれでしょうがない
だけど、せめて私だけは幸せになりたい
そのために何が必要か考えてみた
私の隣の人が不幸せだったらどうだろうか?
不幸せな人は心に余裕がなく、周囲に気を配る余裕がないかもしれない
そうしたら、きっと隣の人の不幸せは私にも伝染するだろう
とするならば、隣の人にも幸せであってもらわなければならない
私が幸せを維持するために、私の周りも幸せで固めないといけない
どうすればそれができるだろう?
単純な方法は、幸せな人間との付き合いを選び、不幸せな人間を遠ざけることだろう
人間は生まれた時から平等ではない
私の小学校の学区は市内の中心部の住宅街で裕福な家庭が多かった
親も公務員や大きな会社の社員や役員、母親も専業主婦が多かった
そういった家庭の子供たちはみな勉強もできたし、余裕があって明るかった
友達の家に遊びに行けばお母さんがいてお菓子を出してくれた
夏休みにはみんなどこかに旅行に行ったし、お土産をクラス全員に配る子もいた
変わったのは中学校に上がってからのことである
中学校では学区が広がり、他の小学校の子たちと合流することになる
そうやって違った学区の子供たちと会って初めて、私の通っていた小学校が恵まれた子供の集まりだったと気付かされる
それはもう雰囲気で出身小学校がわかるほど決定的に性質が違っていた
問題行動を起こすのはB小学校
成績が悪いのはB小学校
当時の日本の社会に作られていた階層は、他の階層との交流の少ない小学校という限られた社会の中で完成された
中学校では、それら別々の社会で育ってきた子供たちを一緒の檻に入れた
高校では再び学力によって分けられることになったが、それまでの中学社会は言ってみれば社会の縮図だった
私は当時純粋であったがために、突然目の前に突きつけられた現実によって、人間の世界は一様ではないことを強く実感した
私は今でも心の底からは信じられない
社会の上と下と
彼らは本当に同じ人間かと疑う
同じ日本という社会で生きているはずなのに、彼らは絶対にわかり合えないのだ
その理由は、私が最初に書いたとおりだ
今もしあなたが幸せにならば、自分の周りの幸せな人間を逃さないように気をつけよう
不幸せな人間は自分が幸せになるために、幸せな人間を利用しようとするだろう
幸せな人間が幸せな人間同士で集まるように、不幸せな人間も不幸せな人間同士で集まるものだ
そういった場所には近づいてはいけない
不幸せな人間が、ふとしたきっかけで幸せを手に入れることも起こりえる
その時には冷静に自分のまわりを見てみるべきだ
自分のまわりが、少しの幸せを簡単に飲み込んでしまうような底無し沼だったとしたら
もたもたせず、すぐに逃げ出してしまうべきだ
まあ、そんな感じ
あなたの前で幸せな空気を出している人間が 他の人間の前でも幸せな空気を出しているとは限らない。