2010-04-04

すべての人が幸せになる方法はないかもしれない

それならそれでしょうがない

だけど、せめて私だけは幸せになりたい

そのために何が必要か考えてみた


たとえば地球の裏側の人が不幸せでも私には関係がない

私の隣の人が不幸せだったらどうだろうか?

幸せな人は心に余裕がなく、周囲に気を配る余裕がないかもしれない

幸せな人の周りの空気は暗く淀んでいるに違いない

そうしたら、きっと隣の人の不幸せは私にも伝染するだろう

とするならば、隣の人にも幸せであってもらわなければならない

私が幸せを維持するために、私の周りも幸せで固めないといけない

どうすればそれができるだろう?

単純な方法は、幸せ人間との付き合いを選び、不幸せ人間を遠ざけることだろう


人間幸せ、不幸せは、何によって決まるのか?

幸せ人間幸せ人間になるか?

幸せ人間は不幸せ人間になるか?


人間は生まれた時から平等ではない

私が小学校から中学校に上がった時に感じたことに真実がある

私の小学校の学区は市内の中心部の住宅街で裕福な家庭が多かった

親も公務員や大きな会社社員や役員、母親専業主婦が多かった

そういった家庭の子供たちはみな勉強もできたし、余裕があって明るかった

友達の家に遊びに行けばお母さんがいてお菓子を出してくれた

夏休みにはみんなどこかに旅行に行ったし、お土産をクラス全員に配る子もいた

小学生の私はそれが普通のことだと思っていた

変わったのは中学校に上がってからのことである

中学校では学区が広がり、他の小学校の子たちと合流することになる

そうやって違った学区の子供たちと会って初めて、私の通っていた小学校が恵まれた子供の集まりだったと気付かされる

それはもう雰囲気で出身小学校がわかるほど決定的に性質が違っていた

クラスの中で大人しいのは私と同じA小学校出身者

問題行動を起こすのはB小学校

クラスムードメーカーになるのはC小学校

クラス委員になるのはA小学校

成績が悪いのはB小学校

運動ができるのはC小学校

小学校は線路の向こう側、団地のある学区だった

小学校商店街に近いところの学区だった

当時の日本社会に作られていた階層は、他の階層との交流の少ない小学校という限られた社会の中で完成された

中学校では、それら別々の社会で育ってきた子供たちを一緒の檻に入れた

高校では再び学力によって分けられることになったが、それまでの中学社会は言ってみれば社会の縮図だった

私は当時純粋であったがために、突然目の前に突きつけられた現実によって、人間世界は一様ではないことを強く実感した


私は今でも心の底からは信じられない

社会の上と下と

彼らは本当に同じ人間かと疑う

同じ日本という社会で生きているはずなのに、彼らは絶対にわかり合えないのだ


幸せ人間は、生まれた時から幸せになる権利を持っている

そして幸せ人間のまわりには幸せ人間が集まっている

その理由は、私が最初に書いたとおりだ

幸せ人間幸せ人間と付き合うことを望む

幸せ幸せ人間同士なら分け合うことができる

幸せを分け合うことで、幸せは増幅させることができる

今もしあなたが幸せにならば、自分の周りの幸せ人間を逃さないように気をつけよう


幸せ人間が不幸せになることは起こりえる

幸せ人間には近づかないことだ

幸せ人間自分幸せになるために、幸せ人間を利用しようとするだろう

幸せ人間幸せ人間同士で集まるように、不幸せ人間も不幸せ人間同士で集まるものだ

そういった場所には近づいてはいけない


幸せ人間が、ふとしたきっかけで幸せを手に入れることも起こりえる

その時には冷静に自分のまわりを見てみるべきだ

自分のまわりが、少しの幸せを簡単に飲み込んでしまうような底無し沼だったとしたら

もたもたせず、すぐに逃げ出してしまうべきだ


まあ、そんな感じ

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