鏡をのぞきこんだら、やっぱりいつも通り気持ち悪い顔だった。
イケメンになる奇跡を信じているのだが、いまだ望みはかなわない。
しょうがないから洋服をめかしこむが、最近服を買ってもないし、こんな微妙な気温でどんな恰好するか悩んで、悩んでいた自分も嫌になっていった。
鏡の前から立ち去ろうとし、服なんてなくなればいいと世界を恨んだ。
そう、第一服なんてあるのがおかしい。
なんで人間って体毛発達してねえんだ。
まあ毛むくじゃらの人間なんて猿の惑星のようで、それはそれできもいだろうが。
じゃあ、国民全体に服が支給されて、それ以外身につけてはいけないだとかどうだろう。
そのとき、子供のころの思い出がふと頭をよぎった。
あれは、髪いじりを生業としてた親戚家で、首だけのマネキンを見つけたとき。
その部屋は、没個性的な生首どもがきれいに棚へ整列されていた。
赤、茶、黒、髪の長いの短いの、たくさんの生首を区別するものは髪型だけだった。
親戚家では幼少のころ、そんな生首を片手に遊んでいたのだが、まさに基準範囲が「頭」だけになるのではないか。
だったら、イケメンの天下だろう。
なにせ服という、人間を判断する材料が減ってしまう。
それって相対的に顔の価値を高めて、イケメンを有利にすることじゃないか。
要するに、オタクをはじめとする非モテはファッションをなにかと敵にして、イケメンとの差を埋めるものだと理解していない気がする。
逆にファッションに身を包むのを、みっともないと勘違いしているかもしれない。
普段から見下される非モテは、見下されることに敏感だ。
だから見下される前に、金がないだとかセンスがないだとか居直って、守りに徹してしまう。
ただ、最低限金をかけるのは必要だし、センスは磨くものだ。
ゲームのために食事を抜いたり、中二に書いた詩集をいきなり出版社に持ち込んだりするのと一緒。
それなのに天性のなにかを期待してしまうのは、昨今の血縁だとかでマンガ的展開を期待してたりするからか?
努力もしないで平等に扱えはないだろう。
だいたい非モテは見下されているから、周りを見下すことを普通だと思っている節がある。
どうせ●●っていっても××って思ってんだろ、なんて変に勘繰る。
その固定概念を上手に解きほぐせないものか。
ネコの画像探しているときにレッサ―パンダの画像見つけてもあんまり印象に残らないだろ?って2ちゃんのまとめかなんかでみたけど、言い当てて妙だ。
数秒眺められ好き嫌いの感情で大きく分けられたとして、それ以上の感情を抱かれることもない。
ただ自分がレッサ―パンダではなく蓮コラで、道ゆく人にトラウマ植えつけてんじゃねえかとか、そんなことまで気になって仕方がないが。