まだ勘違いしている。「国益」というのは国の行う活動のすべての基準が収束するところだ。
個人の行動はその個人にとって益か害かで判断し、国の行動はその国にとって益か害かで判断されるもの。
勘違いしてるのはそちら。
その説明は、国益ないし利益が基準たりえるという主張についてのもの。
人権尊重自体が利益だといった場合は、利益を基準とした場合の説明になる。
それとは無関係に、人権尊重こそなすべきであって、人権に資するかどうかという基準も成り立つ。
この例で言えば、金銭債権を有していることで法的権利が発生し、相手方が義務を履行しない場合はその履行を国の力をもって求めることができるという背景のもと、義務を履行しないことによる社会的・個人的信用を損なうリスクをとるよりは義務を履行したほうがトクである、というコンセンサスがとれているからだ。
おいおい。
「理性的かどうか考えてみろ」って問う趣旨は、「こんな要求理性的じゃないだろ」って言いたいんじゃないのかよ。
なるほど。まぁ、それはそれで合理的だわな。
差別をここまで徹底できるというのは、到底真似できない。降参だな。
それを想定してないと、「人権だけが国益でもない」とはいえないだろ。
たとえば、日本人やアメリカ人のような先進国の国民は、先進国に生まれたというだけで、途上国に生まれた人間よりもより財産を得やすい立場を与えられる。
そりゃ、理想ではあるな。
共産主義の究極みたいな。
「理性的かどうか考えてみろ」って問う趣旨は、「こんな要求理性的じゃないだろ」って言いたいんじゃないのかよ。 主体にとって利益のない行動を要求することが理性的ではないと...