世の中のことを考える。希望のうなじを眺めながら、世の中のことを考える。希望のこころとからだは、どのくらいまで苛めぬいたら、死んでしまうのだろう。希望は植物人間になったり、ボケたりするのだろうか。希望のエサには、何をどのくらい与えればいいのか。ワサビや砂糖は苦手じゃないか。希望は犬派、それとも猫派? 希望はいま何歳? はじめて見た景色は? 反抗期はどうだった? 家族は何人だろう、親戚もみんな希望なの? 希望はそんなに頼りないのか。希望はそんなに強いのか。
世の中で育つ希望のために、ひとつのことにずっと関わりつづけて、生活や人生の過半を費やす人がいる。その意味を注意深く見きわめながら、僕はそういう人を敬愛し、そうさせる何かを自分ももちたいと思うことがある。鍛えられた善意や正義はよく働くのだ。
この世でとくべつ力を湧きたたせるもの、それは自分の放った言葉だと思う。言葉はいのちをつなぐ水だ。
人は錯覚する生き物だ。「彼女は左利きだ」と事実のみを言う。「でも彼女は器用だ」と返す人がいる。「だから彼女は器用だ」と返す人がいる。言葉を使うとき、錯覚のクセが現れる。悲しい錯覚はやめたのだ。錯覚が次の事実を作り出すのだから、素晴らしく美しい事実につながる錯覚を習慣づけるのだ。信念や人生信条というものも、錯覚という同じ機能を善用したものである。
何かを買うとき、「ありがとう」と声をかける習慣を作った。これは気持ちがいい。次は、「いただいます」「ごちそうさま」の習慣を、しないと気持ちが落ち着かないくらいに習慣化させたい。
俺も習慣化させたい。 だけど大人になってから何かを習慣化させるのって本当に難しくて狂いそうだ。
僕も難しいと思ってました。 面白いように習慣化できる方法がありました。 それは、毎日一日の終わりにチェックすること。 日記というより日誌のような感じで、ひたすら○か☓(あ...
このメルマガにあるチェックリストも参考になります。 1分間書評!『一日一冊:人生の智恵』 http://archive.mag2.com/0000094236/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━...