2009-12-17

英語日本語英語

中学英語先生に教えてもらったことなんだけど、

英語でわからない言葉日本語翻訳すればわかる。

まぁこれは当たり前。

逆に、日本語でわからない言葉英語にするとわかる時がある。

たとえば「責任英語にすると「responsibility」日本語にすると「応答・能力

なぜ、そうするのか、なぜそうなったのかという問いに答えることができるというのが責任

たとえば「企業家英語にすると「entrepreneur」日本語にすると「主体性をもってなにかをなしとげること」ってだれかが言ってた。

たとえば「リベラル英語にすると「liberal」日本語にすると「自由」って思うだろ?

でも司馬遼太郎によると「忠恕」って日本語にもなるらしい。

忠恕って言うのは相手のことを思いやること。

こういう解釈の仕方は自分にとってとてもしっくりくるんだが、

曲解になっているんだろうな。と最近よく思う。

言葉そのものの持つ素晴らしいと思える概念は、国の文化や人を通すことによって変容して

それはそれとして受け入れられて浸透していく。

過去に異なる概念で書かれた文章も、その時々に即した概念解釈されていく。

私の見方は過去のものなのか未来のものなのか。マイノリティなのかメジャーなのか。

立ち位置と考え方のバランス感覚

考え方に矛盾があると、それを自分の中で正していくことで大抵はシンプルになっていくものだけど、

私の立っている環境は多かれ少なかれ矛盾を含んでいるものなのだ。

私の考えは私の周囲のこの部分と同じだけど、そこは違う。

そう思うのは当たり前のことであって、恥ずべきことではないし、損なわれることでもない。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん